細胞没入。

ここ連日のips細胞うんぬんの話はいったいなんだったのだろうか?

単なる山師の戯れ言か?
それとも病的な症状か?

あの騒動から、僕ら人類はいったい何を学ぶことができるのだろうか?


確かに季節が秋になると、若干の肌寒さも感じるものです。
肌寒さを感じるとともに、秋晴れのお空を眺めることものできるのです。
そうして人類というものは、その秋晴れの空を眺めて、「ああ。ips細胞でなんかうまいことできるかもしれないぞ!」という発想を胸に抱くものなのです。
これはもうアカデミズムの中では定説にになっていることで、俗に“秋晴細胞性”と概念化されている人類の根本的な性質なのです。

だがしかし、 その胸に抱かれた発想というものは、秋晴れのお空の気持ち良さという疑えない根拠から基付けられてはいるけれども、決して客観的なシェアードワールドの中には実在しないのです。

シェアードワールドの中にはあり得ないという意味で、ips細胞に抱いた発想というものは、“疑えない嘘”なのです。

ips細胞に抱いた発想というものは“疑えない嘘”だけれども、社会というものは、いくらでも疑える嘘で出来上がったヴァーチュアルなショウみたいなもんです。
延々と 続けられるプロレスみたいなショウみたいなみたいなものなのです。
秋のお空には気持ち良いという疑えない根拠があるけれども、社会というものはこの根拠が覆い隠されたまま、勝手に動き続ける自動機械のショウのヴァーチュアルなシェアードワールドなのです。


だ。


か。


ら。


「ああ。ips細胞でなんかうまいことできるかもしれないぞ!」と いう発想は、その根拠が“秋晴れのお空に感じる気持ち良さ”という明証性に基付いている限りにおいて、少なくとも根拠を欠いたまま動き続ける自動機械よりはなんぼか生き生きしているというものなののです。

ですから、僕たち人類は、秋のお空を眺めたときに思い浮かぶ「ips細胞でなんかうまいことするぞ!」という気持ち良い発想を大切にしてください。そうして、その発想に連関するあらゆる可能性に目を向けて、そうして、「ips細胞でなんかうまいことするぞ!」という気持ち良い発想を大切にしてください。