無駄ではないのだ。

「米陸軍兵が同僚射殺、しゃっくり止めようと顔面に銃口
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120926-35022255-cnn-int


この記事を読んで、僕は新たな気づきを得ることができたのだ。それは、「しゃっくりを止めるために他者の顔面に銃を向けて引き金を引いてはいけない」ということだ。僕はこれまで、辛い時や悲しい時は、自分の身に起こった嬉しいことや楽しいことを思い出したり、自分の身にこれから起こるであろう嬉しいことや楽しいことを想像することで生活をしてきたのだ。それは、「しゃっくりを止めるために他者の顔面に銃を向けて引き金を引いて殺す」ということなのです。確かにこの方法を使ったほうが確実にしゃっくりは止まるだろうし、嬉しく楽しく生活することができるのかもしれない。だがしかし、こうした事は日常的であり常識的なものなのであり、学校の倫理や道徳の授業で教えてくれるものなのです。だがしかし、ほんの少しだけ立ち止まって振り返って、その想像の翼を一那由多分の一だけ羽ばたかせて考えてもらいたいんだ。もし、その銃口を向けられた者や、嬉しいことや楽しいことを思い出したり想像することで生活することができるものが、自分以外の他者だったらどうだろうか?ということだ!その場合、銃口を向けられた他者は死んでしまうし、嬉しいことや楽しいことを思い出したり想像することで他者は生活するのだ!これは、倫理や道徳の授業で先生が教えてくれないことであって、人が他者と関わって、社会に出て蔑まれ、「どうしようもない諦め」や「やり場のない可能性」に直面したときにはじめて学ぶことができるものなのだ!だから!よしんばキミが小学校のころ学校の帰り道に辛い気分になっていたとしても、それは「しゃっくりを止めるために他者の顔面に銃を向けて引き金を引いて殺してはいけない」ということなのだ!ああ。人はこんな単純な事実に気がつくために何年も生きて、何人もの他者と関わりをもって、本を読んで音楽を聴いて詩を読むのだ。それに気づくことができただけでも、僕らは大丈夫なんです。