便宜上の現実。

僕が社会を基礎付けて、社会が僕を基礎付けている。。。

この基礎付けの関係が、自分の中で“基盤”を形作っている。。。

で。
この基礎付け関係が崩れると、自分の中で依って立つ基盤が揺らいでしまう。
そうなると、自分の実存が剥き出しになってしまってしまう。
そうなると・・・不安だ。。。

自分の実存に社会が答えてくれなくなると、自分の在り様を基礎付けるのが自分しかなくなるから、とても心細いし不安だ。。。
依って立つ基盤が“自分”しかなくなる。。。

実存の危機ってこういう感じなのかな?

・・・で・・・も・・・依って立つ基盤が自分しかいない状態、つまり自分にとらわれた状態になると、ちょっと生きにくいよね。
かといって、いきなり集団に迎合してそこに埋もれることで安心感を得ようとするのはちょっと違うと思う。
なぜ違うかというと、とっても大切な「自分で考える」が軽く扱われるからです。

最初に戻って、依って立つ基盤とは自分と社会とのお互いの基礎付け関係だってことを認めると、まぁ、バランスなんだろうな。

この関係のバランスが保たれていると、そこそこ安心なのかもしれません。

で。

今の僕w

・・・あんまりバランスがよくないなぁ。。。

仕事にしても生活にしても、実存がむき出しになってしまって、自分しか自分の在り様を基礎付けられない感じ。
つまり、自分にとらわれてしまっている感じです。

どうする?

たぶん。
頑張れば。
社会のほうから自分を基礎付けてくれている気分にはなれると思います。
でもそれって、「自分で考える」ってことじゃなくって、単なる気分であって合理化であるかもしれない。
「自分で考える」をしなくって、都合よく現実を捻じ曲げて(合理化して)、「ああ。社会は自分を認めてくれているんだ。」って思い込んでしまうだけかもしれない。

・・・まぁ・・・それでもいいんだろうな・・・っていうか、そのほうがいいんだろうな・・・。

なぜなら。
たぶん。
そのほうが禿げずにすむからだwww
(・・・ちなみに僕はまだ禿げてはないです・・・w)

でもねぇ。
どう考えてもねぇ。
今の僕を取り囲んでいる身近な社会である職場に信頼を置けなくなってしまったんです。

こりゃしょうがないよねぇ。
合理化して、無理やり信頼しちゃうって手もあるだろうけど、それじゃあ「自分で考える」が軽く扱われてしまうだろうし。。。

弱ったな。。。

最近、一気呵成に気力が低下してしまって、なんでだろう?って考えてたら、こんな文章になりました。

・・・環境変えたほうがいいかな・・・。

職場はここだけじゃないしな。

他の職場に移ったほうが視界が開けるかもしれないし、いいことあるかもしれないし・・・もちろん悪いこともあるだろうけどw・・・まぁ、それはどこにいってもあるだろうしw。
むしろ、閉塞的な職場のなかでマンネリに陥って頭が固くなって、変な発想が出来なくなって、平沢氏の音楽に感動できなくなって、『鉄男』に感動できなくなって、幸福になってしまうのは避けたい。

あー。
やっと言語化できたwww
合理化してないよね?
ちゃんと現実から言葉に出来てるよね?

まあいいや。
とりあえず、実習生のためのコメントを用意して、明日の仕事にそなえなければ^^