いろいろあるけど。。。

やっぱね。

基盤。

っつーのは大切だよ。

例えば、なにかの判断を下したり、なにかをめがけようと展望を繰り広げようとしたり、そうした時には依って立つ基盤というものがとても大切になってくるんだ。

この“基盤”っていうのは、生活者レベルでは“故郷的”と表現できるかもしれない。故郷的な基盤がないと、どうしても判断があやふやになってしまう。

やどかりのさとの故早川さんの思想はとても大好きで、その論文の中で、故郷的な基盤の喪失について語られたものがあったはずなんだけど、その話はとても重要だと思う。

なんつーのか、たぶん、だれしもそうなんだけど、自分の中で依って立つ故郷的な基盤みたいなものがなければ、他人の思想や他人の物語に操られてしまう。。。
だから、もし、その人が自分の有り様を確かめながら先に進もうとするのならば、その都度その都度、その人が現在に下す判断が故郷的な基盤から掴まれたものであるのかどうか、吟味する必要はあるのだろうな。

では、そもそも“故郷的な基盤”とはなんなのか?、考えてみる必要があるだろうな。

それは、変に叙情的な“故郷”を思い浮かべるのではなく、もっと認識論レベルで今現在を支えている原理的な基盤になるのだろうな。この基盤が喪失してしまうと、事実だけ取り扱って、その中にある意味にたどり着けなくなってしまうのだろうな。



ライプニッツやろう。
そのあとはカントだ。