柱の男性。

もう60歳近くになる近所のおっちゃんが、今日もシャドウボクシングをしながら散歩をしている。
路上の電柱を架空の対戦相手と想定しながら、鈍重な身体を右に左に揺らして拳を振っている。

彼は昔ボクシングをしていて、3回戦ボーイだったそうだ。
今でもそのころのボクシング話を、うれしそうにしてくれる。
でも、ボクシングで華々しい成績をあげたことはなかったようだ。

どうやら彼は、他にも格闘技が大好きで、極真空手をを習っていたらしい。
体力にはとても自信があるらしく、近所の体育館に現れては、縄跳び、バレー、卓球、テニスと、次々とこなしていく・・・ちょっと落ち着きがないかもしれないw

さらに料理人でもあり、ホテルの厨房で料理を作っていたそうだ。
食のことになると話しが止まらず、あれやこれやとうんちくをたれるw
先日、ついに“おれがつくってやるよ”といって作ってくれた。
確かにおいしかったが、なんていうか見た目も悪く、料理人の料理っていうよりは、男の手料理って感じで豪快なものだった。

彼はバスの運転手もやっていたそうだ。
体力があったから、結構無理して働いて、お金も貯まったらしい。

・・・でも、今は無職。
貯めたお金も飲み代に消えて、細々と暮らしている。


彼の時間軸は混線している。
現(いま・ここ)から掴まえられた自己が見えなくなっている。
昨日がボクサーで、明日がバスの運転手、今が料理人という感じで、彼の身に過去に起こったことが、いつまでも現(いま・ここ)に浮遊しており、適切な時間軸に沈殿していかない。
彼の持っている自己像は、今を生きている自己像ではなく、もう既に過ぎてしまった過去の地平の中にある自己像だ。
だから、彼はいつも口癖のように、“もうそろそろ就職活動して職に就かないとなぁ、いつまでもこんな生活をしている訳にはいかないし・・・。”と言って、履歴書を書いてバス会社に行くのだが、ことごとく落とされる。。。
だって、朝から酒飲むんだもんw
受かるわけねーじゃんww
そして、彼はまた、過去の地平をまるで現在に起こっていることかのようにして、いつもの生活に戻っていく。。。

僕たちは表の世界しか生きれません。
柱の裏を見ることは決してできません。
柱の裏を見ているときは、それは裏ではなく表になってしまっている。
僕たちはあたかも裏の世界があるかのように思っているけど、それは単なる確信でしかありません。
もし僕が柱の表を見ているとき、さっきまで見ていた柱の裏をきちんと思い出せるなら、その柱はきっちりとした現実感を持ってそこにあるでしょう。
もし僕が、さっきまで見ていた裏をきちんと思い出せず、別の過去(別の時間・空間軸にある柱の裏の像)を予期してしまったら、その柱はきっちりとした現実感を持っているとはいいがたいでしょう。
その柱は、柱っていうか、なんか別のものですw
彼が予期している自己像は、現(いま・ここ)から掴まれた自己像っていうより、別の過去から予期している自己像のようです。
今の彼の姿っていうか、なんか別のものを予期している。


そうしたわけで、彼は今日も、柱を架空の対戦相手に見立てて、鈍重だけども軽快に、右に左に身体を揺らして、シャドウボクシングをしながら散歩をしている。
けっしてたどり着けない柱の裏に、彼は何を思い描いているのだろうか?

彼の拳は、今日も虚空を斬り裂いている。