猫2。

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写真は、04年9月9日のものです。
品川駅の少し先の広場で座ってきたら、猫がへろへろと寄ってきました。
なので、記念に一枚撮りましたw


04年はいろいろ不確定な年でした。
次の仕事が見つからず、半年ほど日雇いの仕事をしたこともありました。
某派遣会社に登録し、某青海の某倉庫内でピッキング作業に従事していました。
ピッキング作業とは、伝票を渡されるので、そこに書いてある商品を倉庫内から集め、ダンボール箱に梱包するという作業です。

・・・結構虚無ですw

が、面白かったのは、そこで雇われている人の面々です。
日雇いで仕事をするには、やはり皆さんそれなりの理由があるようで、酒の席で彼らの話を聞くのは楽しみでした。

ある人はカメラマンであり、銀座に会社を構えていたり、絵画の販売をしていたそうです。
たけし軍団の写真も撮ったことがあるそうです。
凄い人だ。
とても知的な人で、話していて刺激的でした。
彼はアーティストだ。

ある人は音楽家であり、昔はセンバさん(はにわオーケストラの人らしい)のもとで音楽をやっていたそうです。
曲をきかせてもらいましたが、なかなか個性的でよかったです。
個性的すぎて、その人は4畳半のアパートでひっそりと生活をしていました。
彼の口癖は“ノー・フューチャー”でした。
僕は、彼からノー・フューチャーという言葉を聞かされる度に、「あなたはノー・フューチャーという未来像を思い描いているので、未来がないわけではない。」と反論していました。
彼もアーティストだ。

あと、世界を逆恨みしている人もいたっけなぁ・・・なつかしいなぁw
僕は、彼とだけは同類にされたくなかったから、彼の前では必ず精神医学の教科書を読んで、心の防御壁をつくっていました。
逆恨みする人は単純でいいんです。
厚くてムツカシイ本を眉間にしわを寄せて読んでいるふりをしていると、自然にどっかに行っちゃうしw

現場が生き生きしていたのは、やはり若者が多かったことです。
彼らは未規定的なんです。
未来に対して開かれている。
ある人は資格を取ることに燃えてたり、パンクスの人もいました。
服屋さんになりたい子や、学校を目指している子もいました。

・・・なんていうか、みんな間借り人っぽいんです。

それぞれ、思い描かれた人生像みたいなものがあって、それをめがけるために某青海の某倉庫に集まってきた、みたいな感じでした。
だから、みんなこの仕事が終わったら、それぞれの道を歩き出すんだろうなぁっていう、予兆感みたいなものに満ち溢れていました。


・・・でも、中には何をしたいかわからない子もいます。。。

そして、僕が今でも心配に思っているのは、そうした何をしたいかわからない子の一人です。
彼は彼岸の世界を追い求めているんです。
簡単にいうと、その子は某団体に入信していた信者だったってことです。

彼は憧れています。

誰もが幸せになれる、倫理的・道徳的な世界像に憧れています。
ちょうど良いことに、その団体は、ある程度体系化された、幸福になるための手引き書をもっています。
なので、彼はその手引き書を職場に持ち込んで、熱心に勉強をします。

でも、彼は確実に不幸なんです。

不幸であることには理由があります。
キルケゴールで言うところの「引き裂かれる自己」的な不幸です。
彼の自己像はとても高いんです。
手引き書が教えてくれる、倫理的で道徳的な高潔な人物を、自分が本来なるべき自己として想定させます。
そして、その自己を目指すように行動するんですが、現実はそんなに慈悲深くはありません。
いつでも、自分が思い描くような行動がとれるとは限りません。
実際に彼が生きている現実は、そうした高潔な自己像とかけ離れています。
まず、彼は手引き書通りに行動しようとするんで、周りから引かれるんです。
良いことしか言わないんで、うざがられます。
で、そうした空気になって、周りとの関係が不穏になってしまうってのがよくあるんです。
そうしたとき、彼は、周囲のせいにするんです。
つまり、信仰をもたない周りが悪いって感じです。
で、彼は若くて未熟なんで、自分のもっているソーシャルスキルだと対処できない場面が数多くあるんです。
必ずしも、手引き書の示す自己像通りにはいかないんですが、そのたびに現実の自分の姿を呪うんです。

・・・彼は家族関係的な悩みを抱えていたようだけど、それも手引き書通りに倫理的・道徳的でいられなかったからだそうです。

なんだかもう、彼と話していると、いても立ってもいられなくなります。
理念に現実が犯されて生きづらさを生み出していく様を見ると、“どうにかしなきゃ”って気分になる。

僕が精神やってるってのを知ると、彼はいくつも悩みを打ち明けてくれました。
僕は、彼が彼自身の中で思い描く理想的な自己像によって不幸から逃れられなくなっているということを、なんとか伝えようと努力したんですが、なかなかうまくいきません。
彼はあまりにも理念と自己とを同一視しているんです。
僕がまだまだ未熟であったこともあるんですが、彼の凝り固まった理念を解体することは、ついに出来ませんでした。

そして、僕は病院への就職が決まり、彼と縁を切ることにしました。
理念と自己の違いとは、自分で実際に現実を生きてみて、身を持って絶望しなければ、理解することのできない問題だろうと思ったからです。
もちろんその中には、実際に僕と人間的な関係を続けていく中で成長をするということも含まれているでしょう。
でも、そのときの僕は、そこまで自信がありませんでした。
むしろ、彼のもっている手引き書の世界像に自分が飲み込まれて、何が現実であるのかわからなくなるのが怖かったのかもしれません。

僕は、彼の生きていく道を讃え(それが苦難に満ちたものであろうとも)、メールと携帯を着信拒否にしました。

・・・僕にもう少し、間主観的な現実をドライブする能力があったのなら、彼の凝り固まった理念の世界に接近し、現実の生活世界に引き戻すことも出来たのかも知れないのに、と思うと、なんとも情けなくなってきます。


彼は無事に成長出来ているのだろうか?


もちろん、僕自身が他人の成長を左右できるような特権的な立場にある人間であるとはこれっぽっちも思っていません。
(心理や精神やってる人の中には、“自分がクライエントを治してやろう”ってスタンスをとろうとする人もいるようですが、それは少し傲慢な視点だと思います。)
ですので、こうした出会いも出会い以上の意味は持たないのかもしれません。

しかし、そのあたりの経験から、現実と距離をとって、何が現実に起こっているのかを他者に伝えるための方法として、ロジックを真剣に始めることとなりました。


僕は、精神の仕事を始めてまだまだ駆け出しなので、正直未熟です。
出来ることにも限界があります。
っていうか、日々感じるのは自分の無力感のみですw
しかし、先日見た、猫が背中にぶら下がる夢は、こうした4年前の出来事を連想させます。
今、彼に悩みを打ち明けられたら、僕はどんな返事をするのだろうか?




ラヴクラフト全集の第3巻には、ラヴクラフトの履歴書が乗っていました。

そこに書いてあるラヴクラフトの特徴です。

海産物が嫌い。
チーズ・チョコレート・アイスクリームに目がない。
ディオニュソス的な姿勢よりもアポロン的な姿勢を好む。
(つまり、ぐだぐだより、善悪の判断をきちっと付けるような感じ。ちなみに僕はディオニュソス的な姿勢を好みます。)
猫が死ぬほど好き。
服装はごく地味で保守的。
態度は控え目で遠慮がち。

・・・なるほど。
ラヴクラフトの小説に出てくる邪神たちに、たこや魚っぽいのが多いのは、海産物が嫌いだからなのか。
クトゥルーは頭がタコだし。

で、ラヴクラフトも猫好きなのかぁ・・・ってことは、彼も生傷に悩まされたに違いない^^