ロックの最大の敵とは!?(「2001年宇宙の旅」と「音量を上げろタコ!」の感想)

昨日は木場、今日は成田のIMAXで「2001年宇宙の旅」を観てきた!!

振り返ると、今日のほうが良く観れたな。

昨日は、1章、2章に引きずられて、3章をうまく観れなかったようだ。
昨日は人間と人工知能のことで頭がいっぱいで、3章の崇高さを味わいそこなった。
そもそも、昨日は‟崇高”って言葉自体頭をよぎらなかったしw

昨日は「2001年~」観た後、上野で「音量を上げろタコ!なに歌ってんのか全然わかんねぇんだよ!!」を観てきたんだ。監督は三木聡さんって人で、三木さんの映画はとにかくくだらなくて大好きなんだけど、今回、Yahoo!の映画レビュー見ると2点台なのねwww
で、「くだらない」とか「意味が分からない」とか書いてあって、「三木さんやっちゃったのかなぁ」って心配だったんだけど、観たらちゃんとしみじみとくだらなくて良かった!もう何もかも(緻密な)ダメで、最高の作品だった!


※以下、ネタバレにならないように書いたけど、ちょっと映画の内容に触れてるから注意。


で、この映画の中で「ロックの最大の敵はウィキペディア」っていうセリフが出てくるんだ。
主役(女性)がわかんないことをすぐにウィキペで調べてしまって、それに対してもう一人の主役(男性)が「客観性なんてどーでもいいんだよ!」とか言いながらこのセリフをいうの。いや、これは名言だよ。なんかね、たまに‟ウィキペ朗読人(ろうどくにん)”みたいな人に出会うときがあるのね。そういう人は、音楽や映画や絵画の感想が、まるでウィキペディアを朗読しているような、客観的な事実の確認で終わってしまうんだ。つまり、自分が作品を観て、なにをどう感じたのか、そういうことを自分の言葉で表現できてないの。こういう人と会話をしていても心が躍らないからつまらない。ウィキペ朗読人になってしまうってことは、まず、自分の感じたことを表現する練習ができてないってことだろうね。きっとそういう人も練習すればある程度は表現できるようになるとは思う。それとともに、社会的な価値評価(ものさし)の内側に自分を規定することに慣れてしまっているってことなのかもしれないな。良く言えば‟社会人”ってことなんだろうけど、そういうのは、どうも色気がなくっていけないねぇ。

で、「音量を上げろタコ!~」を観た後、どうにも心のもやもや感が晴れなくて、今日は成田に行って「2001年~」を観てきた。
成田のIMAXはとにかくバカでかいらしく、前から行こう行こうと思ってたんだけどなかなか行けずにいて、今回は思い立つことができたんで行きました。

でね、おもしろいことって起こるもんだね。
映画の休憩時間まで、僕は昨日とあまり変わらないスタンスだったんだ。なんとなく心にもやっとしたものが残ったままだった。
で、休憩中にLINEを開いたら、友達からのメッセージに‟崇高”とい表現が入っていた。

この言葉なんだ!!!!
僕が「2001年~」を観て感じてたのは、まさにこの言葉なの!!
でもね、昨日の僕は全然この言葉が出てこなくって、解釈しようとばかり試みてしまってたんだ。
だから気持ちと言葉が一致しないで、もやもやしたままだったんだ。


せっかくだから崇高をウィキペで調べてみようwww
「崇高(すうこう)とは美的範疇であり、巨大なもの、勇壮なものに対したとき対象に対して抱く感情また心的イメージをいう美学上の概念である。計算、測定、模倣の不可能な、何にも比較できない偉大さを指し、自然やその広大さについていわれることが多い。」


そうそう!これこれ!!
巨大な山や海を見たときに感じる感覚。
荒れる川や流れ落ちる滝を見たときに抱く驚異の感覚。
去年見に行った「怖い絵展」に崇高のコーナーがあって、そこで説明されていたのがこういうことだった。
僕はこの言葉を忘れていたんだ。


思えば遥か昔、「2001年~」を最初に見たときの感覚って、まさしく崇高感だったよなぁ。
この映画は、1章、2章と知的ゲームみたいな展開を見せて、3章で一気にその枠組みを取っ払っちゃうわけだ。そして、観客はただひたすら抽象的な映像を浴びせられ、理解が追い付かなくなり、最後にはただ崇高さだけが残ることになる。
最初に感じたのはこの感じだったんだよなぁ。

そのあと、僕は小説や解説本をいろいろ読んで映画を知的に理解するようになったけど、最初に感じたのはとにかく‟わけわかんねーけど、なんかすげーよ!”っていうやつだ。つまり崇高感。

休憩中に崇高って言葉に出会ってからは、言葉と自分が感じてることが結びついて、すっきり見ることができました。

最後の「美しき青きドナウ」で気持ちよく現実に着地することができて、今回の鑑賞は気持ちよかった。
成田IMAXがバカでかかったってのも崇高感に拍車をかけてくれて、良い鑑賞ができました。

そうそう、25日にはCBGK!の「実験落語neo」に行ったんだ。
柳家権太楼師匠はまくらの中で「なんでもかんでもスマホで調べるのはつまらない!わかんないことはわかんないままでいいの!!」ってなことを言ってたっけな。

きっとそういうことなんだろうな。
ウィキペ朗読人になったら崇高さを感じることもできなくなってしまう。

あ。
自分の感じたことを言葉で表現するのに1日かかってしまったwww
これが老いかもwww

イメージ 1

イメージ 2