断絶への航海2。

https://blogs.yahoo.co.jp/nanonoid/72175503.html

↑この反省を前提としたうえで・・・

ああそうか。断絶感と癒合感って、ちょっと軸になるかもしれないな。

っていうのもさ、演芸場に行くと、断絶感の僻地に住んでそうな人に出会うことがあるんだよ。その多くは中年以降の老人で、他者がいることに気づけていないような人たちだ。

いや、自分の周りに他者がいるということを認知できてはいるだろう。でも、彼らは他者との癒合感が薄いようで、ちょっと配慮のない言動をするのね。ビニール袋ガサガサしたり、演芸中に出歩いたり。「携帯の電源はお切りください」っていうアナウンスも耳に入らないみたい。

でね、そんな彼らを「迷惑だ!」って非難することは簡単だろう。でも、生きていくこと自体が断絶への航海のようなものだから、彼らが今生きている断絶の僻地は、僕らもいずれは行きつく場所なのかもしれない。つまり、成長の成れの果てってことだ。そう思うとちょっと切なく、ちょっと怖くもあるな。

でね、僕が言いたいのは彼らの迷惑行為のことではなくって、他者と断絶しつつある人たちも、演芸場にきて、演芸を楽しもうとしているというところ。ここなんだ。

これってなんというか、とても人間的なことだろうし、おもしろいことだよね。

だってさ、演芸って共感の芸でもあるじゃない。演者さんの発話に触発されて自分のイメージの世界に入って、演者と自分の“あいだ”辺りに面白みが湧き出してくるわけじゃない。とても、断絶された状態では楽しめないわけだよ。それなのに、断絶感を感じさせる人たちも演芸場に来て、演芸を楽しもうとしているわけだ。

断絶の人がどんな楽しみ方をしているのかはわからないけど、ひょっとしたら、在りし日の癒合感を希求しているってことなのかもしれないね。っていうか、演芸にはそうした癒合感を取り戻させる力があるのかもしれない。