実存アタラクシア案。

自己表現グループを立ち上げたいな。
社会的な日常性とか常識性とか、そうした僕たちを取り巻いている背景的な「構造」を分析するような活動集団。
現象学運動の続き。

集団名は「実存アタラクシア」。

“実存”っつーのは、自分のありようにをその都度了解しつつ、自分の可能性を世界に投げかけるような人間の基本的なあり方。どっちかっていうと、ドロドロしてる感じ。

“アタラクシア”っつーのは、理想的な平穏状態っつーのか心の平安っつーのかな・・・僕には実存の反対のお気楽理想主義的な状態に思える。

で。
「実存アタラクシア」っつーのは、このふたつの相反する原理と理想の癒合した場所って感じだ。

で。
この「実存アタラクシア」がなにをするのかっていうと、論文発表です。

基本は朗読なんだけど、その朗読する内容は、なにか心を動かすポエムとか、人に感動を与えるような内容の詩とかではなく、ただ淡々と論述する、「在る」についての分析なんだ。
こう表現するとハイデガーの続きなんだけど、「在る」から基づけるかたちで、「愛」を表現したり、「夢」を表現したり、「希望」を表現したり、そうした論文を朗読したい。

・・・嗚咽に身を震わせながら、泣きながら現存在分析の朗読。。。

それを音楽にのせて朗読するんだけど、音楽は音響的なのがいいな。
ノイズミュージックっていうのか、テクノで音響的で、少なくとも明確なメロディーやコード感やリズム感はないもの。
心を動かさない音楽。
(・・・心は必要な時に動くんだ・・・心動かす音楽によって動かされるというよりかは、その人のあり方と、現実のタイミング(「間」)によって、仕方なく動かされるから感動するんだ・・・心は自然に動く・・・恣意的な操作によって動く心は・・・つまらない。)

そのためには次の人たちが必要だ。

朗読者:20代後半から30代前半の女性。表現者。できればボーダーチックな。。。
デストロイフルート:アザトースの周りで鳴ってるような音を奏でてくれる人。
デストロイバイオリン:社会人。
学者:その都度でいいかもしれない。この活動にのってくれて、論文を書いてくれる学者。
VJ:論文と音楽をカッコよく映像にまとめてくれる人。
音楽できる人:僕は音楽のセンスがないから、ちゃんと音楽できる人。
指揮:自分。全体的に浅く広くwww

とりあえずデモを作りました。





ゆっくりした曲なんで、次は勢いある曲のデモを作りたいです^^