スカイリム感。

差別が生まれるのは自然なこと。
差別を無くすのは不自然なこと。

でも僕は差別を無くしたいと思う。
ってことは、僕は不自然さを求めていると言える。
不自然さを求めるのは不合理なことだ。
でも、その不合理さに道徳的な正しさを感じる。




おもしろいなぁ。
道徳的な理念は不合理なものだということが、いとも簡単に証明されてしまったよw

この文章は直感的な文章だから、不透明なところがあります。きちんと考えないとならないのは、「差別が生まれるのは自然なこと」と表現したときの“自然さ”の根拠と、「差別を無くすのは不自然なこと」と表現したときの“不自然さ”の根拠について。それから、「差別を無くしたい」と思うときの、その動機についてだ。これらのことを言い当ててあげる必要がある。

ここをクリアにしたら意味のある反省につながりそう。

ここがクリアになって、この文章が意味のあるものになったら、次の課題は、僕たちはこうした差別意識を、なにに向けて、どんなかたちで昇華していけばいいのか?ってことだろな。

でも、この反省ってもう人間の能力を越えているのかもしれないね。僕も含めてだけど、人間には無理なのかもしれない。ひょっとしたら機械を使って脳をブーストしてあげないとできないことなのかも。

でね、なんでこんなことを考え出したかというと、スカイリムのせいなんだ。スカイリムにはこうしたことを考える余地がある。

イメージ 1