知りえない生成の地-2。

そして9月7日です。

僕は秋葉原の某お店から、モニターが入荷したという連絡を受け、再び秋葉原に向かったのです。
その日は当直明けであり、若干眠くて疲れていたのですが、台風が日本をかすめそうというニュースもあったので、僕はその日のうちに秋葉原に向かったのでした。

そして、雑だけど親切な青年に出会いました。
その青年は、モニターを購入したお店の店員さんです。
ひょっとしたら僕よりも年上かもしれませんが、青年的です。
なぜなら、ゆらいでいるのです。
未規定的な態度で会話をしてくれるので、好感が持てます。
未規定的な態度とは、なにか客観的な視点を持ち出して現在を確定していく態度ではなくて、現在に起こっている出来事にどう挑んでいくか共に考えていく態度であり、実存に接近するときには必要になります。

でも。

雑だw

交換してくれたモニターがドット抜けしてたら困るから、親切にも試しに表示させてくれるっていうのでやってもらったんですが、箱からのモニターの取り出し方がすごい雑だw
画面に触りまくりで、がさがさ乱雑に取り出して、シールとかもべりべり剥がして・・・^^;
でも、彼は親切だから、ドット抜けチェッカーのソフトを即座にインストールして、黒・白・赤・緑と、各色を表示させて、ドット抜けしてないか確かめてくれました^^
今度は無事にすべての色が表示され、ドット抜けはしてません。

そして、雑だけど親切な彼は、乱雑にモニターを箱にしまいます。。。

梱包も超てきとーw
入れながら、箱が壊れてきちゃったりして・・・もうなんだか・・・w
器用なんだか不器用なんだかよくわからない感じです。

でも。

彼はモニターの知識が豊富のようで、ドット抜けがなぜ起こるのか?その原理を僕に教えてくれました。


僕にはモニターの知識が無く、その日は当直明けで半ば阿頼耶識にも潜っていたので、彼の話は僕にはこんな風に聞こえました。。。




※注:以下、若干の妄想ありw



僕が知りえない場所に液晶モニターを製造する施設があって、その施設では比較的数多くのモニターが作られています。何と比較して多く感じたのかというと、それは、僕の一日の歩行数に7をかけて、出てきた数の単位を秒にした場合の時間の内で、幸福を感じた回数と比べてです。その数多くのモニターの中で、ドットが抜けるのは本当に僅かな数だそうです。それはとても僅かな数なので、もし、そうした製造施設にモニター直売所をもうけて、そのお店からユーザーに直接モニターを売ったのならば、「ドットが抜けている!ドットが抜けている!」と訴える人はほとんどいなくなるそうです。では謎がある。それは、実際にドットは抜けてしまうということです。ドット抜けは出ないはずなのに出る。そのことを暖かい眼差しで見れば、生きているけど死んでいるということだ。・・・「死ぬのはいつも他人ばかり。。。」・・・マルセル・デュシャンはそのような表現をしたことがあるようだが、死ぬことを経験した人間はどこにもいないにも関わらず、「生きているけど死んでいる」とまったく同じ事態が起こってしまっているとは、どうしたことだろうか?・・・まぁ・・・・どうでもいいかもしれないけどw・・・だがしかしどうでもよくないのでその理由を尋ねると、秘密は配送にあった。配送途中の衝撃によって、ドット抜けは起こるそうなのです。過程はこれで理解できますが理由がわかりません。そもそもなにゆえにドット抜けは起こるのでしょうか?僕たちが利用している液晶モニターは、モニターそのものと、モニター内部の機械の間に、ある物体が入っているそうです。この物体の名前を僕は知らないので、仮に“死ぬエーテル”と名付けます。モニター内部の機械は、この“死ぬエーテル”に向かって色彩を表示させる力を放出します。その力はおそらく電気的なものだと思います。ですので、仮に“色電気”と名付けます。つまり、機械が“色電気”を“死ぬエーテル”に向かって放出するから、モニターは発色し、様々なエロ動画や政治家のマニフェストなどを画面に表示させることができるのです。問題は、“死ぬエーテル”の種類です。高価なモニターの“死ぬエーテル”は、固い板状になっているそうです。その“死ぬエーテル”は固いのでドット抜けは出にくいそうなのですが、固い故に、一度壊れると修復不可能だそうです。それに対して、安価なモニターの“死ぬエーテル”には流動性があるそうです。流れ動く性質をもつ“死ぬエーテル”は高速描写が可能なのですが、ドット抜けが出やすいそうです。流れ動く性質がどのように影響して高速描写が可能になり、ドット抜けが出やすくなるのかは謎ですが、おそらくそれを理解するためには、実際にモニター生成施設の職員が学んできた技術の体験を僕も追体験する形で学ぶ必要があるのでしょうが、それをするには力が足りないので、その謎はそのままにしておきます。たぶん、猫がねずみを獲るときの本能的な技術みたいなもんなんだと思います。流動性をもつ“死ぬエーテル”には利点があるそうです。それは、ドット抜けが起こったとしても、ひょんなことから回復する可能性がるということです。その流れ動く性質から、ドット抜けが発生している箇所を指で強く押したり、動画を連続的に流して負荷をかけることによって直ることがあるそうです。ということは、流動性を持つ“死ぬエーテル”は此の世に対して“ゆらぎ性”を持っているのであり、揺らいでいるということは可塑性が高いということなのでしょうか?おそらくそれも、猫がねずみを取るときの本能的な技術のようなものなのだと思います。。。




そうしたモニターの原理を丁寧に教えてくれたので、僕はちょっとわくわくして、箱が壊れていくのもなんだかアリな気がしてきて、気持ちよくお店を出ることが出来ました^^

店員さん、ありがとう^^

そして、帰りの電車の中で、猫がねずみを取るときの本能的な技術を駆使して、流動的な“死ぬエーテル”と“色電気”を発生させる機械を組み合わせてモニターを作る、まだ見たことのない生成の場所に思いを馳せることが出来たのです。




・・・前世紀の初めに活躍した例の夢想家・ラヴクラフトは、夢の中に現れる憧れの土地、未知なるガダスに安寧を求めたようですが、そうした知られない土地は、突如として日常に現れ出ます。。。


そうしたわけで、次は地デジチューナーかブルーレイのドライブを買います^^