諦念までの長い道のり。

たぶん。。。
こうした話しは。。。
生命の持つ目的論的な原衝動性に立ち戻って、そこから世界を捉えなおすように話しを組み上げる必要があるのだと思うのですが、僕はそうしたことの専門家ではないので出来ませんw

たぶん。。。
そうした仕事は専門家に任せたほうがいいんだろう。

だがしかし、世界の成り立ちを捉えなおす態度は大切だし、専門用語を使わなくても、その態度をとって話しを進めることは出来るんじゃないか?って思います。


で。
僕の記事のタイトルはいつでも誇大妄想的なのですが、話しの内容はたいしたことはありませんw

「ま、いっか^^」と思えるようになるには、それなりに長い道のりが必要なのだなぁって思ったんです。
そして、この「ま、いっか^^」のスキルは、此の世をドライブしていくうえで、けっこう大切なスキルなんだなぁって思いました。

っていうのも、(連休中に読んだ本とも関係があるのですが)どうやら人間は、“疑えなさ”を此の世に投げかけながら生きているようだ。
そして、その“疑えなさ”は、そのつど強められたり弱められたりする、柔軟に変更可能な信念のシステムとなって綜合されているみたいです。

例えば。
今、目の前にPCのモニターが見えています。
このPCのモニターの表と裏は同時に見ることができません。
だがしかし、表から見えるモニターの姿も、表から見えるモニターの姿も、どちらも同一のモニターだと了解しているし、そのことには“疑えなさ”がともなっています。
もしこの“疑えなさ”が崩れてしまったら大変なことで、このモニターは同一のモニターではありえなくなるだろうし、僕はひょっとしたら「誰かにモニターをすりかえられた」と思うかもしれないし「僕のモニターじゃない」と言い出すかもしれない。
そもそも、同一のモニターに取りまとめることが出来なかったら、僕にとってモニターはモニターというよりも、なんか別のものだ。

ちょっと乱暴な例ですが、こんな感じで、僕らは此の世に“疑えなさ”を投げかけながら生きているといえそうです。
(・・・こんな感じの反省なら、いちいち専門用語を使わなくても、どっかの偉い人の論文を参考文献に提示しなくても、自分の頭で思考実験をして妥当かどうか確かめることが出来るのだから、そんなに的外れでない・・・はずw)

で。
その“疑えなさ”の連想は、信念の連関を作ります。
その信念の連関には、どうやら強い弱いがあって、そのつどそのつど、おかれている自分のありようによって、変更が加えられているみたいです。

例えば。
僕は今日、実家から車を運転してアパートに帰りました。
最初思い描いていたルートは、直接高速に乗って、首都高に入って・・・って感じです。
でも、途中で「お土産買うために道の駅に寄ろ」って思って、高速には乗らず、下の道をとろとろ走っていたのです。
とろとろ走っていると、今日は天気もいいし、気分もよくって、木々の緑々しさが思いのほか気持ちよくて、結局、僕は高速に乗らず、下の道をずっと走り続けました。
走行しているうちに夕方になって、早く帰りたくなったから、結局首都高だけ走ることにしました。。。

まず。
僕は、アパートまでの道のりについて“疑えなさ”を持っていなければ、車を走らすことが出来ません。
そして、この“疑えなさ”から一つの信念を持ちます。
それは、「高速にのって、その後首都高に入る」っていう信念です。
しかし、僕は僕の気分によって、その信念に変更を加えて、「高速には乗らず、下の道をとろとろ走りながら、緑を楽しむ」という信念を作り出しました。
そして、その信念も、「首都高だけのってアパートに向かう」と変更されました。

こんな感じで、“疑えなさ”は信念の連関を作り上げて、それは僕の状況によって、変化していく。。。
ものすごく乱暴な反省だけど、こんなふうに人間の特徴を言い当てることが出来そうです。



で。


どうやら。



こうした信念の連関は、“ほんとうの王国”を作り上げるみたいです。
“真実の王国”“真理の王国”・・・“理念の王国”といってもいいのかもしれません。
その根っこは“疑えなさ”というこちらから投げかけたものに過ぎないにも関わらず、「かくあるべき!」という“ほんとうの王国”を作り上げてしまうようです。
“ほんとうの王国”とは、直接的な現実の“疑えなさ”から始まって、信念の連関から作り上げられた理念の塊であるにも関わらず、その“ほんとうの王国”はまるで最初から存在する真実の世界であるかのようになってしまうときがあります。

そして、そんな世界に魅了されると、どうにも生き辛くなっちゃって仕方が無い。

例えば。
仕事をする上で、「本当の仕事」とか「本来あるべき仕事の姿」とか「仕事とはこうあるべき!」とかいった“ほんとうの王国”に魅了されてしまったとします。
そして、もし、“ほんとうの王国”以外の現実が到来してしまったら、その現実はことごとく「間違いだ!」否定されることになる。
(そして、往々にして仕事は思ったとおりには行かないものです。)

“ほんとうの王国”に魅了されたその人は、ランダムに到来する現在との間に常に“引き裂かれる自己”を経験することになり、その経験はおそらく辛いものだろう。

そこで!

「ま、いっか^^」のスキルの登場です^^
(長かった・・・w)
“ほんとうの王国”を解体して、現実のランダム性を取り戻すための「ま、いっか^^」のスキルの登場です。

・・・っていうか、現実は無常にもランダムだから、「ま、いっか^^」って思わないとやってらんない。

でも、“ほんとうの王国”の強制力はすごくって、僕もそれに魅了されて、「僕はこうあるべき!」って思い込んでしまうときがよくあります。

で。
その“ほんとうの王国”を解きほぐして現実に戻ってくるまでには、結構時間がかかったりします。
・・・温泉に入っておいしいものを食べて、お酒をのむ必要があるwww

なんていうか、おもに仕事上のことなんですが、諦念までの道のりはけっこう長いなぁって思いました。

そして。

「ま、いっか^^」のスキルにも、いくつか種類があるようです。
刹那的な「ま、いっか^^」のスキルとか、未来志向的な「ま、いっか^^」のスキルとか・・・。

まぁ。

いいや。

玉子の漬物を肴に日本酒を飲みます^^




そして、BGMに聞いていたのはTMの「SCREEN OF LIFE」です。
この曲の歌詞はいいですね。 (http://listen.jp/store/artword_1003364_11307.htm)
うっすらとした諦念感が未来志向的に描かれている。
明日はこの曲を聴きながら出勤しよ^^