Lが確定しない。
家のすぐ近くにマクドナルドがあります。
良く利用します。
「高カロリーだから、マクドナルドのハンバーガーを一食食べとけば、一日持つんじゃないのかなぁ?」とか馬鹿な考えをしながら、大抵ビッグマックのセットと単品でチーズバーガーを頼みます。
飲み物は、ノー・カロリー・コカ・コーラのLです。
おおよそ、こんな感じです。
で。
食べ終わってしばらくしたら100円のコーヒーを買って、だらだらいすわって、ぐだぐだ本を読みます。
・・・“L”なんです。
注文するセットの飲み物は、ノー・カロリー・コカ・コーラの“L”サイズなんです。
Mサイズではすこしもの足りなく、コーラはそのしゅわしゅわとした喉ごしを楽しみたいから、ちょっと多めのLサイズを買うんです。
で。
先日も、僕はセットのノー・カロリー・コカ・コーラを“L”サイズで注文しました。
が。
だが。
だがしかし。
出てきたのはMです。。。
・・・どうみても・・・小さいんです。
いつも見慣れているLサイズと比べると、その大きさに違和感があるんです。
すぐさま、僕は店員さんに向かって、“これはMサイズですよ。注文したのはLサイズですよ。”と文句をいおうと思ったんですが、僕の中に、ある疑念がよぎりました。
ひょっとしたら、これはLサイズなんじゃないのか?っていう疑念です。
つまり僕は、僕の中にあるLサイズを理解するための“Lサイズ像”がおかしくなってしまって、本当はLサイズであるにもかかわらず、おかしくなった判断基準に従って、“Mサイズである”という、誤った判断を下してしまっているという可能性です。
もし、それが事実ならば、僕は店員さんになんの文句もいうことができません。
それでは言いがかりをつけることになってしまう。
・・・何より、五反田の風俗嬢より爽やかな、あの、“0円のスマイル”を曇らせてしまうことになる。。。
それだけはなんとしてでも避けなければなりません。
そうしなければ、僕は“7,000円の怒り”や“678円の不安”や“2,354円の不穏”や“値段のつけようもない絶望”を味わうことになる可能性が発生してしまいます。
だがしかし。
だがしかし。
なにより僕は、僕自身の認識を信頼しないで、どうしようというのだろうか?
確かに、深刻な妄想を抱える人は、他人から見るとありもしない現実を生きている哀れな人なのかもしれない。
しかしそれは、彼の生である。
人は、代替え不可能な唯一の現実性以外に生きることができない・・・というか、原理上、人間には他人の現実を生きる術がない。
彼は既に、深刻な妄想という生を生きている以上、その妄想は誰からも否定される権利を持ちえない。
もし、彼の持つ深刻な妄想を否定しようというのなら、その人は物事の外側(つまり超越)に立って判断を下せる、特権的な立場にある人物ということになる。
・・・人の外側に立って真理を振りかざし、特権的な判断を下せる者・・・もはや死語かも知れないが、神概念のある部分は、こうした立場を表現している気がする。。。
そして、人はその唯一的現実性から逃れられない。
唯一的現実性の外側に脱出して、ことの真偽をはかることはできません。
すなわち神にはなれないんです。
ですから、僕は、たとえその認識が客観的には偽であろうとも、僕の認識を信用せずにはいられないんです。
そうしたわけで、僕は僕の現実にかけて、“このノー・カロリー・コカ・コーラはLサイズではなくMサイズです。”と伝えることにしました。
しかし、その表現は、“僕の認識に誤っている可能性がある”という多義性を含んだものです。
つまり、そのノー・カロリー・コカ・コーラを指さして、「Lサイズって、この大きさでしたっけ?」と問いかけるというやり方です。
これなら、店員さんを責めている感じにはなりません。
“僕にも間違ってる可能性があるけど、ホントのところどうなの?”ってニュアンスが出て、良い感じです。
案の定、店員さんの“0円のスマイル”が曇ることはなく、「すいません。すぐ取り換えます。」と、笑顔で取り換えてくれました。
よかった^^
だ。
が。
しかし。
だがしかし!
だがしかし!!
だがしかし!!!
その後再びそのマクドナルドを訪れておんなじ内容を注文したら、また、Mサイズのノー・カロリー・コカ・コーラを出しやがりました(爆)
まぁ、いいんですけど・・・今度は即答で「それMですよ」と伝えて変えてもらいました。
で。
今日。
今さっき。
また。
再び。
M。
サイズ。
ですwww
L頼んだのに出てきたのはMですw
おんなじマクドナルドで三回Mサイズってどうなってんの!?
ギャグ?
それとも嫌がらせ?
まぁ、飲み会のネタになると思えば許せるから良いんですけど。。。
なんだか、このマクドナルドの店員さんは、“Lサイズ像”が不確定みたいです^^
良く利用します。
「高カロリーだから、マクドナルドのハンバーガーを一食食べとけば、一日持つんじゃないのかなぁ?」とか馬鹿な考えをしながら、大抵ビッグマックのセットと単品でチーズバーガーを頼みます。
飲み物は、ノー・カロリー・コカ・コーラのLです。
おおよそ、こんな感じです。
で。
食べ終わってしばらくしたら100円のコーヒーを買って、だらだらいすわって、ぐだぐだ本を読みます。
・・・“L”なんです。
注文するセットの飲み物は、ノー・カロリー・コカ・コーラの“L”サイズなんです。
Mサイズではすこしもの足りなく、コーラはそのしゅわしゅわとした喉ごしを楽しみたいから、ちょっと多めのLサイズを買うんです。
で。
先日も、僕はセットのノー・カロリー・コカ・コーラを“L”サイズで注文しました。
が。
だが。
だがしかし。
出てきたのはMです。。。
・・・どうみても・・・小さいんです。
いつも見慣れているLサイズと比べると、その大きさに違和感があるんです。
すぐさま、僕は店員さんに向かって、“これはMサイズですよ。注文したのはLサイズですよ。”と文句をいおうと思ったんですが、僕の中に、ある疑念がよぎりました。
ひょっとしたら、これはLサイズなんじゃないのか?っていう疑念です。
つまり僕は、僕の中にあるLサイズを理解するための“Lサイズ像”がおかしくなってしまって、本当はLサイズであるにもかかわらず、おかしくなった判断基準に従って、“Mサイズである”という、誤った判断を下してしまっているという可能性です。
もし、それが事実ならば、僕は店員さんになんの文句もいうことができません。
それでは言いがかりをつけることになってしまう。
・・・何より、五反田の風俗嬢より爽やかな、あの、“0円のスマイル”を曇らせてしまうことになる。。。
それだけはなんとしてでも避けなければなりません。
そうしなければ、僕は“7,000円の怒り”や“678円の不安”や“2,354円の不穏”や“値段のつけようもない絶望”を味わうことになる可能性が発生してしまいます。
だがしかし。
だがしかし。
なにより僕は、僕自身の認識を信頼しないで、どうしようというのだろうか?
確かに、深刻な妄想を抱える人は、他人から見るとありもしない現実を生きている哀れな人なのかもしれない。
しかしそれは、彼の生である。
人は、代替え不可能な唯一の現実性以外に生きることができない・・・というか、原理上、人間には他人の現実を生きる術がない。
彼は既に、深刻な妄想という生を生きている以上、その妄想は誰からも否定される権利を持ちえない。
もし、彼の持つ深刻な妄想を否定しようというのなら、その人は物事の外側(つまり超越)に立って判断を下せる、特権的な立場にある人物ということになる。
・・・人の外側に立って真理を振りかざし、特権的な判断を下せる者・・・もはや死語かも知れないが、神概念のある部分は、こうした立場を表現している気がする。。。
そして、人はその唯一的現実性から逃れられない。
唯一的現実性の外側に脱出して、ことの真偽をはかることはできません。
すなわち神にはなれないんです。
ですから、僕は、たとえその認識が客観的には偽であろうとも、僕の認識を信用せずにはいられないんです。
そうしたわけで、僕は僕の現実にかけて、“このノー・カロリー・コカ・コーラはLサイズではなくMサイズです。”と伝えることにしました。
しかし、その表現は、“僕の認識に誤っている可能性がある”という多義性を含んだものです。
つまり、そのノー・カロリー・コカ・コーラを指さして、「Lサイズって、この大きさでしたっけ?」と問いかけるというやり方です。
これなら、店員さんを責めている感じにはなりません。
“僕にも間違ってる可能性があるけど、ホントのところどうなの?”ってニュアンスが出て、良い感じです。
案の定、店員さんの“0円のスマイル”が曇ることはなく、「すいません。すぐ取り換えます。」と、笑顔で取り換えてくれました。
よかった^^
だ。
が。
しかし。
だがしかし!
だがしかし!!
だがしかし!!!
その後再びそのマクドナルドを訪れておんなじ内容を注文したら、また、Mサイズのノー・カロリー・コカ・コーラを出しやがりました(爆)
まぁ、いいんですけど・・・今度は即答で「それMですよ」と伝えて変えてもらいました。
で。
今日。
今さっき。
また。
再び。
M。
サイズ。
ですwww
L頼んだのに出てきたのはMですw
おんなじマクドナルドで三回Mサイズってどうなってんの!?
ギャグ?
それとも嫌がらせ?
まぁ、飲み会のネタになると思えば許せるから良いんですけど。。。
なんだか、このマクドナルドの店員さんは、“Lサイズ像”が不確定みたいです^^