かわいそうなイラノン。

ラヴクラフト全集の第7巻に、「イラノンの探求」という超短編の物語が載っています。


イラノンはかわいそうだ・・・。






※以下ネタバレあり。結末まで全て書いてあります。






彼は、感性豊かな青年です。

音楽や詩を愛でます。

しかし、なぜだか日常に違和感を感じているようです。
なぜ違和感を感じているのかというと、彼は王子だからです。
アイラという美に溢れた都市の王子で、歌や詩をよむことを教えられて育ったようです。
しかし、過去の記憶をなくしてしまっています。
ですので、彼は自分の本当の故郷である、美が祝福される都市アイラを目指して探求の旅に出ます、

それは美しさを求める旅でもあります。

美しさを求めて幾つもの都市を巡るのですが、一向に見つかりません。

旅の途中で、イラノンとおなじように美を求める友人も見つかるのですが、彼はすぐに歳をとり、俗にまみれた人間になってしまうのです。

最後に訪れた都市で、彼は老人に会います。
その老人は彼の履歴を知っている人であり、彼に告げます。
彼は王子でもなんでもなく、この都市に生まれた普通の人間だと告げるのです。
彼は感性豊かかもしれないが、たんに風変わりな人間なだけであり、美に祝福された都市などはどこにもないのだと告げるのです。

イラノンは自分の旅が終わったことを知り、求めるものがどこにもないことを知ると、自分がもはや青年ではなく、歳老いた醜い老人に成り果てていることに気付きます。。。





なんつーか・・・なんともかなしい話しです。
寓話としては物珍しいものではないのかもしれませんが、やるせなさみたいなものは感じます。
っつーか、ずっと青年でいたいなーとか思うし、自分の感性は大切にしておきたいと思うし、何らかのかたちで自己表現とかしたいなーとか思うし・・・かといって、イラノンみたいに自分の現在の姿を見失ってしまうのもなんだか嫌だ。

僕もこれからの自分の姿なんつーものを思い描いたりするんですが、ふと、それは美に祝福された都市、アイラを求めているだけなのかもしれないなーとか思います。

不在の未来を思い描いているだけで、そんなもんはありえねーっつー現実を突き付けられて、イラノンみたいに絶望しちゃうんじゃないか?とかも思うわけです。

だがしかし。
不在を糧にしないと、何かをしようとする動因は動かないわけだ。

こういう表現は安易にしてはいけないのかもしれませんが、もし仮に、僕が日常の重力や世界バイアス(http://blogs.yahoo.co.jp/nanonoid/48220496.html)に屈服して、現実のみを生きる人間に成り果てたとしても、不在を求める思いっつーのは、どこかで炸裂します。

たとえ僕が、日常に屈服して生きぬいたとしても、不在を求める思いはその家族に炸裂するかもしれませんし、僕を取り囲む人間関係に炸裂するかもしれません。
ひょっとしたら、僕の世代を飛び越えて、次の世代に炸裂するのかもしれない。
ひょっとしたら、スイスの羊飼いに炸裂するかもしれないし、苦難の助手に炸裂するかもしれないし、ダイエット食品を販売する営業担当に炸裂するかもしれない。

そうしたわけで、音楽や詩を愛でる感性みたいなもんは、それなり大切に生かしつつ現在と折り合いなんかをつけないとなんねーのかなぁとかも思うわけなんですが、友人たちが無抵抗に日常に屈服する様を見続けていると、なんだかイラノンを救ってやんなきゃなんないんだろうなぁとも思います。

あー。

「自己紹介:class2。(http://blogs.yahoo.co.jp/nanonoid/5329623.html)」に戻ります。