目覚ます妄想。

構想力?




目の前に見えているモニターの裏側を思い描く能力。(※参照:「不在の現実。http://blogs.yahoo.co.jp/nanonoid/5329623.html」)
思い描がかれた裏側と目の前の光景を“同一のもの”と思い続けれる能力。
明日の予定を立てれる能力。
一年後の自分を思い描く能力。
将来に希望を抱く能力。
“売りつくし”のノボリを“赤いくつ”と見間違え、そこから幾つかの物語を思い描く能力。



構想力?



妄想力?



日々の生活をしていて意欲が低下してしまう時があります。
それは、希望を持つことが出来なくなってしまった時です。
現在にある自分の姿から抜け出すことが出来なくなってしまったり、明日の自分を思い描くことが困難になってしまった時です。

つまり、構想する力が何らかの形で疎外されてしまったとき、僕はげんなりしちゃいます。



おととしは、ファミレスに何時間もいることができました。
しつこく本を読みつづけることが出来たのです。
腰が痛くなっても、眠気に襲われても、それを続ければ思い描かれた将来の自分に少しでも近づけるんじゃないか?っていう希望があったからです。

まぁ、仕事が忙しくなったからってのもあるんだと思うんですが、今の僕は、明日の仕事に今の自分が規定されちゃってて、将来の自分に向けて何かをするってのがとても億劫になってしまっています。

さっきの記事(http://blogs.yahoo.co.jp/nanonoid/41883159.html)は、ちょっと馬鹿みたいな話なんですが、僕に必要なのはあの二秒間の妄想なのかもしれない。

けっして確定的ではない、ゆらぎと未規定性に満ちた、在らざる現在を思い描くことが必要なのかもしれない。




そうした妄想じみた像を持ってないとやってらんねーっつーのか・・・。




そうはいっても、妄想だと危ないな。
妄想となると、現実から基付けられていないことになるから、いつまでたっても現在に訪れることがない未来になってしまいます。

ってことは、現在から掴まれた妄想を思い描くことが必要なんだってことだと思います。

ってことは、構想力。


※彼岸に現在が規定されてしまって身動きが取れなくなってしまった人については「猫2。(http://blogs.yahoo.co.jp/nanonoid/30857215.html)」を参照。