昨日は末廣亭に行ってきました^^

昨日は末廣亭に行ってきた!
夜勤明けだから、昼は連雀亭に行って、それから末廣亭の夜の部に行こうと思ったんだけど、 夜勤中はほとんど寝れなかったから、このままでは寄席でも確実に寝てしまうので、一眠りしてから夜の部だけ行くことにしました。 こんな感じでした。

前座ひしもち「真田小僧

めぐろ新作(タイトルはわかりません)
歌奴「浮世床

ひびきわたる(漫談)

丈二「穴子でからぬけ」
一琴「松竹梅」
吉窓「 山号寺号」

紫文(三味線漫談)

小里ん「たらちね」
小燕枝「意地くらべ」

~仲入り~

天どん「ハーブをやっているだろ!」
彦いち「掛け声指南」
小ゑん「ぐつぐつ」

正楽(紙切り

白鳥「三題噺」

全部覚えてた!
メモらずとも、なにやったか全部頭に入ってたぞ!ちょっとうれしい^^

トリが白鳥師匠だから新作祭りかと思ったけど、そういう訳じゃなくって、古典もやってた。丈二師も古典やってたものな。

で、 寄席に来たのは一週間とちょっとぶりなんだけど、社会人やってるとダメだね。変な“構え”みたいのが出来てしまってる感じがする。いやあ、寄席に通い始めてつくづく思うのは、僕の人との距離の取り方の特徴なんだ。なんというか、自然な情動の発露ってのができてないんじゃないかって気がする。・・・“フィッ!”って言えてないwいや、僕は自分でいうのもなんだけど、呼吸合わせ(ペーシングのような)は得意だと思うんだよ。相手と呼吸を合わせて、相手の世界に潜って行くっていうのかな。まぁ、合わせすぎて一緒に沈んでしまったり、一緒にわちゃわちゃしちゃったりするけど、それをしないとそもそも対人支援は成立しないし。でもね、 たぶん、僕の中で呼吸合わせが成立しているのは“支援する者ー支援される者”っていう、役割としての関係性が成り立っていたからこそなんだ。つまり、生活の中での自然なやり取りの中で呼吸が合うんじゃなくって、ちょっと作られた実験室的な空間で、役割が与えられたら中での出来事でしかなかったんだ。

(・・・いや、アレか・・・普通に生活してても役割が崩れると呼吸合わなくなることあるな・・・)

僕は切り取られた現実の一部で “対人支援をしているぞ!”と満足していたに過ぎなかったのかもしれない。

初めて池袋演芸場に行ったとき、電気が消えないのを知らなかったから勢いで前の方に座ってしまって、その圧に戸惑ってしまったあの体験が忘れられないな。“見る人ー見られる人”の関係が崩れてしまい、どんな表情で落語を聴けばいいのか、あのときは一瞬わからなくなってしまった(この辺の“関係性が崩れて戸惑ってしまう”って感覚については、木村敏先生の本に書いてあったな。木村先生は“気恥ずかしさ”の感覚を引き合いに出して分析してたはず)。

で、その後、永谷系列の小さいとこや連雀亭とか通って、自分なりに距離の取り方に慣れてきたはずだけど、昨日は 変な“構え”が出てしまった。なんだか妙に構えちゃって、丈二師あたりで、その構えがだんだん取れていった感じかな。

天どん師も「落語は8割くらいがお客さんの想像力で、あとの1割は噺家の技術、残りの1割は運です」って言ってたっけな。噺家さんの技術が1割ってことはないだろうけど、なんだか落語を聴いていると、聴き手の中でいろんなぞわぞわ感があって楽しいな^^

一琴師~小燕枝師までは安定の古典が続きました。吉窓師は落語終わったあとエクストラステージに突入して、「茄子とかぼちゃ」(で合ってるかな?)の踊りを見れた! そんで後半は新作祭りだ^^天どん師のあのひょうひょうとした空気感はたまらないなー。彦いち師のムワンチャイ楽しかった!そして、小ゑん師の『ぐつぐつ』初めて聴けた!イカ巻き!

で、白鳥師匠 すごかったなー。2時間であんなSF話を作っちゃうんだものなー。しかも、日本最大の謎といわれている。邪馬台国の場所と遮光土偶の正体がわかってしまうんだものな! 円丈師匠のイラスト見れたし^^

いやー、本当に楽しかった!
無理せずちゃんと寝てから 行ったのも良かったのかもしれないな^^

今年4月から寄席に通い始めて、なんだかんだで43回目(笑)