良く生きるということ。

今思ったんだけど、大切なのは、「必要な反省を必要な時に繰り出せるか?」ってことなのかもしれないな。

たとえばね。自分の学んでいる学問がどうも役に立たないなぁって思ったら、現象学的な反省を繰り出して、直接的な現実経験までさかのぼってあげる必要があるだろう。もし、なんだかよくわからない空虚感に苛まれたら、実存論的な反省を繰り出してあげる必要があるだろう。なんだか推論がどんどん進んじゃって妄想っぽくなっちゃったら、超越論的な認識論を繰り出して、推論に突っ込みを入れてあげる必要があるだろう。

そして、肝心なのは、こうした反省って、一度行えばそれで終わりってことでもないってところだ。現象学やって現実に戻っても、どうやら理性は現実から遊離しちゃう傾向にあるし、実存論的な反省をしても、生きているとどうしても空虚感に苛まれちゃう。推論に突っ込み入れても、生きている以上、推論の連鎖は続いていくものだし・・・。

ということで、必要な時に必要な反省を繰り出すことができるってことが、哲学的な意味での“良く生きる”ってことなのかもしれないなぁ。

そして、今の僕が必要としているのは、実存論的な反省だ。脳内でニーチェさんを顕現させる必要がある。

螺旋だなぁ。