仕事と生活と過去と将来が現に在る。

いやあ。

キャリアコンサルタントの座学中心の講座がとりあえず終わりました。
しかしこれで終わりではありません。
来週からはキャリアコンサルタントのロールプレイメインの講座が始まります。

いやあ。

まだ半分だw
半分だけどなんだか課題が多くで忙しかったなw
仕事しながら学ぶのは大変だw
まぁ、キャリコン取らないと死ぬってわけでもないですし、そんなに気張らないで出来たのは良かったかな^^

で。

ひと段落ついたし給料が出たんで、買い物をしに秋葉原に出かけました(喧騒にまみれることが大切なんです)

で。

どうやら僕は、社会人やってるうちに、いろいろアーティストを見落としてたみたいです。

今日買ったもの↓



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まず。
後藤さんのCD。
・・・僕はどうして後藤まりこさん(もしくはミドリ)の曲に出会わなかったんだろうか?僕はこのクラスタにいるはずなのに。
なんだか戸川純ちゃんと対バンしたってんでどんな人なのかなぁと曲聴いたらすごい。
この人はアーティストだ。
歌詞も書くし曲も作るんだねぇ。
そんで、言葉の感覚がいい!
まだちゃんと聴き込んでないから“いい!”としか言えないんだけど、これまで知らなかったことが悔やまれる。

で。

上坂すみれ氏。
僕はアニメはほとんど観ないし、声優業界のことはまったくわからないのだけれども、なんだか上坂氏はすごいな。
世界観やナゴム的な趣味も、単なるファッションとして持っているアイドル声優かと思ったんだけど、どうやら違うっぽい。
アーティストっぽい(それとも仕掛け人が作り出した世界観なのかな?・・・いや、今んとこ本物っぽい)
そんでこの人、絵も描くんだね。
いやあすごいよ。
アーティストだよ。
上坂氏についてはまだよくわからないところが多いので、しばらく追いかけてみます。

で。


僕は突段の熱心なリスナーというわけじゃないんだけど(曲もほとんど知らない)、なんかいつの間にやらミクさん使ったアルバム出してた^^

あと。
ダフトパンクと電気だけど、まぁこちらは前から好きだから買うべきして買ったということです。


それから、やっぱ文化人類学はかじっといたほうがいいな。
ある程度メタな視点持っとかないと、現場で支援するにしてもなにが起こってるのかわからなくなる可能性がある。


そんで、やっぱ人間を語る上で宗教は避けて通れないよなぁ。。。
なんていうのかな、なにか特定の宗教を受容したり批判したりということじゃないけど、宗教になじみのない日本人でも、“宗教性”を持たないで生活するのは味気ないし・・・精神性のほうがいいかな?・・・いや、それでは誤解があるな、たぶん、今僕が持っている述語で一番簡単に表現すると、「“すげえ”という感覚」になると思う。善悪や幸不幸の手前で既に起こっている「“すげえ”という感覚」。例えば山を見たときに感じる「“すげえ”という感覚」は、まったく全ての価値を乗り越えて襲ってくる。その感覚からどんな理念の体系を作り上げようがそれは自由だけど、その根っこにある「“すげえ”という感覚」そのものは理念の体系を抜きにして私たちに襲いかかってくるもんだ。たぶん、宗教性は感覚的にはこの領域に関係あるのだと思う。そんで、その辺を知らずに支援をしたって(いや支援はできるだろうけど)、なんだか味気ないものになりそうだと思うなぁ。

えー。

概念化して一言で表現すると、「“理念の体系としての宗教”と“宗教性”には違いがある。この違いを把握するためには概念の取り扱い方に敏感になる必要があるだろう。概念の取り扱い方に敏感になるために、なにか既存の概念の体系を使ったら堂々巡りになってしまう。だから、この問題を取り扱うためには概念以前を考えるような態度、すなわち現象学的な態度を保つことにしよう。その上で宗教学を学んで、人間と宗教との関わりの客観的な把握に努めよう。その後に、“宗教性とはなにか?”という問題にせまって、その根っこにあるであろう「“すげえ”という感覚」を取り出すこととしよう」

あ。

全然ひと言になってないやwww