頼りになるのは雰囲気だけだ。





なつかしのこの歌を雰囲気だけで訳してみた。
たぶんこんな内容の歌だwww



<偽訳>

ニルさんに会ったら伝えておくれ
私の仕事は順調です
イヴァンさんに会っても伝えてくれるな
私はもうすぐ帰ります
ニルさんに会ったら伝えておくれ
私は今年も順調に生活しています
イヴァンさんに会っても伝えてくれるな
私はあそこに行くのだから


1)
隣の庭に咲いている躑躅(※)は 今年も枯れてしまうのだろう
私の情熱は成長し そして今でも私を突き動かしている
「理性は誰にでもある 使い方の問題だ」
薄暗いサロンの中で、青き日の君は熱っぽく語っていたものさ
“誰にでもある”だって?
“誰にでも”とは誰のことだろう?私は私でしかないのに


ニルさんに会ったら伝えておくれ
私の仕事は順調です
イヴァンさんに会っても伝えてくれるな
私はもうすぐ帰ります
ニルさんに会ったら伝えておくれ
私は今年も順調に生活しています
イヴァンさんに会っても伝えてくれるな
私はあそこに行くのだから

2)
愛情を注いでいたあの子は霧の中に隠れ 今ではその表情も見えなくなってしまった
私を突き動かしているこの情熱は “偉大な前提”から注がれたものなのだろうか?
「理性は誰にでもある 使い方の問題だ」
薄暗いサロンの中には 理性の光も届かないであろう
“誰にでもある”だって?
“誰にでも”とは私のことなのだろうか?私は私でしかないのに


ニルさんに会ったら伝えておくれ
私の仕事は順調です
イヴァンさんに会っても伝えてくれるな
私はもうすぐ帰ります
ニルさんに会ったら伝えておくれ
私は今年も順調に生活しています
イヴァンさんに会っても伝えてくれるな
私はあそこに行くのだから

3)
隣の庭に咲いている躑躅は 今年も枯れてしまうだろう
私の情熱は凍りつき 今では動かなくなってしまった
「すばらしい理性があるのなら 少しは私に見せておくれよ(明晰判明に)」
薄暗いサロンの中で 青き日の私は無表情に言い放ったものさ
誰でもない私に いつの日か私はなりたいものだ
私は私ですらないのだから

ニルさんに会ったら伝えておくれ
私の仕事は順調です
イヴァンさんに会っても伝えてくれるな
私はもうすぐ帰ります
ニルさんに会ったら伝えておくれ
私は今年も順調に生活しています
イヴァンさんに会っても伝えてくれるな
私はあそこに行くのだから

ニルさんに会っても伝えてくれるな
私の仕事は順調です
イヴァンさんに会っても伝えてくれるな
私はもうすぐ帰ります
ニルさんに会っても伝えてくれるな
私は毎年順調に生活しています
イヴァンさんに会っても伝えてくれるな
私はどこにでも行くのだから


躑躅について・・・フィンランドのサーサミル地方では、毎年躑躅(つつじ)が咲くころに帰省し、情景をたたえる“レンランドゥマバ”というお祭りを行う風習がある。この歌詞の主人公は躑躅にレンランドゥマバの情景を思い出し、若き日を思い出しているのである。


雰囲気だけで解説をしてみた。
こんな歌にはこんな解説がつくものだwww



<偽解説>
この歌は、フィンランドに伝わる民謡のひとつです。しかし、歌詞が付けられたのは60~70年代に入ってからだといわれています。その時代のフィンランド青年たちはは、他の国の青年と同様、自分自身の在り方を語ってくれる思想や主義に飢えていました。自己責任と主体性を謳歌するはずの近代的人間像は、結局は対外的外交の前に屈してしまうことになり、資本主義体制を維持しながらも共産圏の勢力間に入るというジレンマを感じながら、在りし日の革命にも希望を見出せず、まさしく実存的不安感にさらされていたのです。サロンの中で理性のすばらしさを語っていた青年は、おそらく若き日の主人公そのものだと思われます。近代的人間であろうと故郷を飛び出したが(世界情勢の中で立ち振る舞おうとしたが)、そうした自由は取り上げられ、ただただ年老いていくだけの自分の姿を振り返り、どこにも希望が見出されない。ただ淡々とそうした心情と情景を描写しているところに、世代を超えてこの曲が親しまれる理由があるのかもしれません。