怖い話:漁港について。

某C県のN町のことなんだけど、もう今から20年位前の話だ。

その町は港町なんだけど、漁港は閉鎖されており、船は何隻か係留されているが実際に漁に出る人はもういなくなっているみたいなんだって。というのも、高度成長期の時代に漁港のすぐ近くに大きな工場が建てられて、その工場に町民は働くことになったらしい。で、その工場で何を作っていたかは知らないけど、おそらく漁をして生計を建てるよりはずっと効率的だし、危険も少ないから、男女問わずそこで働くことになって、だんだんと漁港に人影はなくなっていったんだって。まぁ、これは表向きの話で、本当の理由は別にあるみたいなんだ。

このN町には漁港から少し離れたところに小さな山があって、そこには古いお寺がある。そして、そのお寺とは別に、もっと奥のもっと山のほうにはもう一つお寺があるんだって。そして、なぜか奥の山にあるお寺のほうが新しく、歴史も浅いという話なんだ。そして、それぞれのお寺は(建前上)別の宗派ということになっているけど、元々はその土地に祭られている神社みたいなものがあった場所らしい。正確には神道的な神社とは違うらしい。そうした“神様を祭る”ってことではなくて、単に“尊いもの”として敬っていたというアミニズム的なニュアンス。まずは漁港よりの小さな山にお寺が建てられて、何らかの理由から、もっと奥の山のほうに別の宗派が寺を建てたらしいんだ。

あるときのことなんだけど(あるときっていっても20年前のあるときね)、この町に旅行者が訪れたんだって。その旅行者(仮にA氏とする)は40代半ばほどで、背の高いやせた男性。年齢の割りに老人のような印象を与える人らしい。というのも、どこのものともわからない、奇妙な方言で喋るらしいんだ。その方言というものが、会話の最後のほうが英語の“th”のような濁り方をするんで、なんとも老人がもごもご喋っているように聞こえて、この人と話をする人は、老人の語りを聞いているように思えてくるらしい。なんでも、比較宗教学と文化人類学を地方の大学で教えている教授のようで、フィールドワーク(っていうの?)で、いろんな地方をめぐって調査しているんだって。そのA氏はまず、このN町の漁港に立ち寄ったんだ。比較宗教学や文化人類学が専門っていうのなら、まずはお寺にいって、その由来や、昔祭られてたものについて調査をするのが全うなんだろうけど、なぜかA氏はまっすぐ漁港に行って、その周辺を調べて回ったんだった。主に、漁港周辺の老人たちに聞き取り調査を行って、その調査内容っていうのは、この漁港がいったいいつごろからできたものなのか?、そして、ここで獲れた魚をどんなルートでどこに卸していたのかということなんだ。それも、最近のルートではなくて、老人たちが活躍していた時代(おそらく半世紀以上前だと思う)のルートを知りたがっていたらしい。A氏は熱心に聴いて周ってたんだけど、小さな町だからA氏のことはすぐに町中のうわさになってしまった。あるとき、なんでそんなことを調査するのか聞いてみると、A氏は決まって「これはガクジツ的なものな○△$%#$th。ここを調べる必要があるのでth。」と、例の奇妙な方言で話したそうだよ。そうした学者にありがちな言葉を聴くと、町の人たちも「そんなもんか」と思って納得してしまうらしい。

だがしかし、彼の聞き取り調査を受けた老人たちというのが、決まって“○臣”という苗字を持つものなんだ。というのも、この町というのは、漁港が盛んになる以前、おおよそ2~300年前は、ほとんどほかの町とやり取りがなかったらしい。大きく分けて3つの親族が暮らしていて、それぞれの親族ごとの役割もある程度決まっていて、(たとえばある親族は農業をして、ある親族は衣類を作って・・・とか)その関係の中で町の生活は成り立っていたんだって。そして、それぞれの親族間で娘さんが生まれたら順番で次の親族、次の親族と、ほとんど儀式的に婚姻関係を結ばされていたんだ。ほとんど近親婚に近いやり取りだったから、(もともと町民の人数も少ないということもあり)生まれる子供も知的能力が低くなってしまったり、子供ができなくなってしまったりということが続き、ほとんどが“○臣”という苗字の一族だけになってしまった時期があったんだって。その後、ほかの町から移ってくるものが来て、この町は漁港の町として復興したんだけど、こうした事情から“○臣”という苗字の家が多くなっているんだって。

そして、A氏はなぜか“○臣”の家の老人から聞き取り調査をしていたんだ。町民も、はじめのうちは「熱心な学者さん」くらいにしか思っていなかったんだけど、“○臣”の家ばかり回るA氏にだんだんと不審感を抱くようになり、漁港の近くの山のほうのお寺の住職に相談することにしたらしい。すると、住職は怪訝そうな顔をしながら会って話をしてくれるといってくれた。ただし、話をするときは二人だけにしてくれ、という。A氏と住職は二人きりでお寺で話をすることになり、その話は優に6時間以上に及んだそうだ。その間、A氏はいつもの“th”の喋り方とは別の方言を使っていて、「A氏が別の方言で喋る→住職が喋る→簡単な読経→A氏はいつもの方言で喋る」という感じでやり取りは進んでいったんだって。不思議なのは、住職の読経の端々には、奥の山のほうにある新しい寺の宗派で使われるものが含まれていたということだ。A氏は6時間の対話(対話というよりは・・・)の末、新しい寺に行くことに決めたらしい。そのときのA氏は疲れきったような、しかし恍惚としたような苦悩というか、そうした表情だったんだって。

この新しい寺にも住職がおり、殆ど自給自足で暮らしているんで町に下りてくることはめったにないんだけど、町の中で誰かが結婚したときには新しいお寺のほうに挨拶にいくというしきたりがあるんだって。挨拶に行くときには、単に行って帰ってくるだけでなく、その人の小さいころ見に付けていた衣類、そして今見に付けている衣類、三親等のうち、一番離れている人の衣類を持って行くことになっているんだ。A氏はこの話を住職から聞かされて、たまたまA氏の兄から譲り受けた外套があったから、それと自分の衣類をもって新しいほうの寺に向かったんだ。

・・・この漁港が閉鎖された話についてなんだけど、「工場ができて云々」というのは建前だといったよね?実は閉鎖された理由というのは別にもあって、それは隣町にかかわることなんだ。隣町もN町と同じく漁港があったんだけど、隣町の漁港も閉鎖されてしまった。だがしかし、隣町の閉鎖はN町と違い、工場ができたとか、産業が変わったとか、そうしたことではないらしい。隣町に住んでいる人たちは大きく分けて、二つの種類に分けられるらしい。というのも、北のほうから移ってきた人たちと、南のほうから移ってきた人たちが混合する町で、もともと土着の人というのはいないらしいんだ。そうして、北からの人はものを作るのが得意で、ものを作ったり、家を作ったりします。物を作ったり家を作ったりすることがとくということは、建築術に優れているということだね。これとは対称的に、南から来た人たちというのは、どちらかというと詩を読んだり、文章を書いたり、そうした抽象的な創作をすることが得意なんだって。こうした建築と抽象の二つの人たちが合わさってでできた町なんだけど、海が近いから、やはり魚を取って売りさばいたほうが合理的に稼げるようで、漁港を開いたんだ。だけど、もともと建築と抽象のふたつの伝統のほうが長いから、合理的に稼げるという漁よりも、お金にはならないけど得意な伝統である建築と抽象をするようになって、漁港はだんだんと廃れていったんだって。N町の漁港が廃れていったということも、こうした隣町の影響があるんじゃないか?って話もあるんだ。

・・・話は戻るけど、新しいほうの寺に行ったA氏なんだけど、町民はみんな、「熱心に聴いて回る先生だから、きっと一週間は帰ってこないだろう」と思ってたんだ。だけど、このA氏、町民と思いとは違い、たったの3日間で帰ってきてしまった。A氏は疲れた感じと、なんともいえない奇妙な表情をして、町の旅館に缶詰になってしまった。A氏はお寺の住職となにを話したかはわからないけど、どうやらそのことを論文としてまとめているらしい。そして、1ヶ月ほどしたとき、A氏はとても疲れた表情となんとも奇妙な表情をしてこの町から去っていった。。。その去り方というのは、右足を出して、左足を出したかと思うと右足を出すんだ。そして右足を出した否や左足を出して、そうした決まりきった動作を繰り返しながら前に進んで行くというものなんだ。そして、その動作を繰り返しながら、奥の山にある新しいお寺の手前にある漁港の近くの小さな山の“尊いもの”を祭ってあった跡に建てられたお寺の近くの漁港から少し離れた大通りにあるバス停にたどり着き、バスに乗って去っていった。。。そのときのA氏の表情は疲れていて、なんとも名状しがたき恍惚とした、それでいてどことなく疲れていて、そうして、どことなく40代半ばのものであった。。。そういう話。