嗚咽エコー。

ゴミ捨て場が遠いのです。

“ゴミ捨て場”という表現が、人類の持つ倫理規約に引っかかるのならば、“ゴミ置き場”でも“ゴミステーション”に置き換えてもかまいません。
“ゴミ集積所”でも“ゴミ集荷場”でも“ゴミ場”でもかまいませんし、“無能な人間”でも問題はありません。
いや、むしろ、“華奢な籐椅子”や“少年の媚びた視線”かもしれません。
いや、もしも僕が、人類の持つ倫理規約に細心の注意を払って“ゴミ捨て場”を表現しなおすのならば、“下劣な嗚咽”と名付けるのが正しいのです。


の。

で。


下劣な嗚咽が遠いのです。


所詮。


客観的な時間的空間的規定なんてものは、ものはそんなものは、その程度のものでしかないのです。

下劣な嗚咽は近いのです。
だがしかし、近いはずはなく、それはまさしく僕の意識を、いや、僕の周辺世界を“超越”して、はるか遠方にあるのです。

だから。

やはり下劣な嗚咽は遠いのです。


・・・。


僕は小さい頃からアトピー性皮膚炎がひどくて、薬を飲んだり薬を皮膚に塗ったりしています。
今はそれほどでもないのですが、それでも飲み薬と付け薬は欠かせません。
しかし、この2週間ほど、飲み薬が切れていたのです。
飲み薬が切れると、体がかゆくなるのです。
・・・ひょっとしたら、これは7割がたメンタルな意味合いのほうが大きいかもしれない・・・ひょっとしたら、ビタミン剤を「かゆみがなくなる薬です」といわれて飲まされたら、僕のアトピーはたちどころに消えるのかもしれません・・・。

だ。

が。

しかし。。。

事実として、薬が切れて体がかゆくなっていたのです。

足の薬指の付近もかゆくなり、かいたら血が出て傷になりました。
そして、そのキズから菌が進入したようです。

きずが痛くなりだした。

なんだかゲンタシンをつけてやり過ごしていたのですが、良くなったり悪くなったりを繰り返して、スッキリしません。

で。

先日の日曜日、当直中、痛みがひどくなりました。
みるみる腫れ上がりました。
客観的な時間的空間的規定が崩壊し始めます。

「ほうかしき炎」らしくって、一日二回抗生物質の点滴をして、安静にしていなければなりません。
入院も勧められたんですが、とりあえず外来通院で治療することにしました。
月曜日から仕事を休んだんですけど、痛みはどんどん増していって、高熱でうなされました。

火曜日の朝の足の痛みはひどかった。。。
痛すぎて痛すぎて痛すぎて、もう入院しちゃおうかと思ったが、ゴミを捨てる日だ。
火曜日はゴミを捨てる日なのです。
しかも、ゴミ袋が5袋も溜まっているのです。
ですから、僕はゴミを出さなければならないのです。

だがしかし、足が痛いのです。
歩くことがままならないのです。

ゴミ捨て場が遠い。。。

いや。



下劣な嗚咽は、僕の意識の遥か彼岸に、僕の手の届かない“超越”として在ることになってしまったのです。。。



・・・ゴミ袋を5袋抱え・・・痛む足を引きずりながら・・・ぶつぶつと此の世を罵る言葉を吐きながら・・・下劣な嗚咽を目指す・・・いつもは小走りで行って帰ってくる距離だけど・・・遠い・・・足は引きづられて、きっと、おばあちゃんだ・・・おばあちゃんがガレージに小学校2年生のころ僕を閉じ込めて、その閉じ込める暗闇と孤独の効果で僕を懲らしめようとしたことに抵抗して僕はガレージの上のほうにある小窓から外に出られることを発見して泣きながら小窓から外に出て、田んぼの脇の小道をとぼとぼあるいて家に戻ると家に戻った僕の姿をみてどうやってガレージから脱出したのかを聞いてきたのだけれども、僕がこうこうこうした理由でガレージを脱出したのだというと、おばあちゃんは大笑いをしたものだ・・・そもそもなんでおばあちゃんは僕をガレージに閉じ込めて、暗闇と孤独効果で僕を懲らしめようとしたのだろうか。。。・・・そのきっかけを思い出すことはできないのですが、たぶんたいしたりゆうじゃいだろうな。きっと、ゲームをやりすぎたとか、言うことを聞かなかったとか、そんなもんだろうな。だがしかし、きっとおばあちゃんは、僕に試験をしたのだ。その試験とは、僕は暗闇と孤独にどのように対応するのかということを見て取ってそれを把握することにあるのだろう。それは客観的な時間的空間的な思想の中に僕を押し留めるようなことではないと思うけれども、僕はその試験をちゃんと通過したのだろうか?・・・僕はそのとき、おばあちゃんをとても憎いと思ったし、あばあちゃんなんて死ねばいいと思ったし、おばあちゃんはいつもうるさくて嫌だったのだけれども、大笑いしてくれたって言うのはそこそこうれしかったんじゃないのだろうか?でもそれは今となって類推するしかない、遥かな過去の地平に沈む、意味を欠いたレリーフでしかないのです。そんなおばあちゃんは僕が高校3年生の頃に死にました。スチャダラにはまっていたな。スチャダラや電気にはまっていて、EOSで曲を作ることを覚えて、それなりに自由になる世界があることを覚えて・・・でも、このときは小説とか本を読む楽しさを知らなかったから、言葉を使って自由に表現できることはあまりしならなかったと思います。おばあちゃんは大笑いしたけど、どちらかというと社会的な体裁とか道徳とかを重んじる人だったな。良いことと悪いことを区別するタイプの人だ。本当はこうした役割は父親の役割なんだろうな。理性的な役割というか、分断して分類する役割だから感情的な判断というよりも思考的な判断なんだろう。僕は今でもキャリアウーマン的なてきぱき仕事をする女性が大の苦手で、そういう人の側にいると落ち着かなくなるから僕は存在感を2にしてそそくさと退散するのだけど、それはきっと、父親的な判断を下そうとしてるけど、女性であるがゆえに感情的な判断になってしまっているおばあちゃん像があるからなのかもしれないな。だがしかし。おばあちゃんは暗闇と孤独効果を「小窓から脱出する」という方法で回避した僕の姿を見て笑ったわけだ。この笑いに僕はおばあちゃんのもつ祖母性、つまり母性のもっと円熟したようなユーモアのようなもをみれたんだ。おばあちゃんは死んだけれどもおばあちゃんのユーモアに触れることができたのだから、僕はガレージを小窓から脱出する方法は大切にします。・・・足が痛い・・・足を引きずりながら・・・ゴミ袋を5袋抱え・・・僕はやっと下劣な嗚咽に辿り着いたのです。

が。

もうゴミは回収されてたw

僕は、此の世を罵れるだけ罵りながら家に帰宅しました。

暗闇と孤独を回避するためにはガレージにある小窓を利用するのです。

ガレージにある小窓は、この話を次の飲み会でみんなに話すことです。

今日、やっと足の腫れもしぼんできました。

このまま治ればいいな。