ほころびについて。

最近思うのは、困難や辛いことを打ち消そうとして笑顔でいることと、困難や辛いことを何とかしようとして思い悩むことの違いは大事だなぁってことです。

打消しの笑顔は一見楽しそうなんだけど、嫌なことを見なかったことにしているようで、なんだか軽率だ。
・・・軽率って感じじゃないな・・・なんていうか、浅い・・・ぺらい・・・。
そうした笑顔は見ていてこっちが辛くなる。


思い悩んだあとの笑顔は良いですね。
なんていうか、快適だ。
・・・快適って感じじゃないな・・・なんていうか、意味がある・・・。


意味。

だ。


例えばね。
めんどくさい仕事でも意味があるってわかればなんとなく頑張れちゃったりします。
・・・意味がないと単純な仕事でもやる気が起きない・・・。

でね。
思い悩んだ後の笑顔って、なんとなく意味を誘発してくれるんです。


そうした意味のある笑顔のことを、この文章の中では仮に「ほころび」と名づけてみます。


ほころんでいる人とは一緒にいたいと思います。
なぜなら、一緒にいると意味が湧き出てくるからです。

大切な人がほころんでくれたらうれしいですよね。
なぜなら、それは意味のある笑顔だからです。

もし、ほころんでいる人が職場の同僚なら、僕はそういう人と一緒に仕事をしたいと思います。
なぜなら、働くことに意味が付与されるからです。

そして、もし僕が真摯な態度で仕事をしようとするのならば、それはたぶん、打消しの笑顔を振りまくことではなく、ほころびながら仕事をすることになるでしょう。

たぶん。

そんな感じなのです。