総点検。

足元がぐらついてきたので、総点検をする必要があります。


僕は何をめがけようとしていて、今やろうとしていることはどんな意味があるのかオリエンテーションする必要があります。


まず、初発のニュアンスとしては、それは個人史と関わりがあることであり、日常性からずり落ちてしまわざるをえなかったという出来事があります。


@日常性からのずり落ち経験のことを“破風”と呼んでみます。



“破風”体験が教えてくれたことは、日常性や常識性を盲目的に信仰するということではなく、日常性や常識性がどんな成り立ちをしているのか考えてみるということです。
倫理観とか道徳観とか美徳とか善意とか正義感とか社会性とか、そうした既に出来上がっている価値観をいったん括弧にいれてしまってみて、それがどんなふうに成り立っているのか探ってみるということです。


@こうした定立化した価値観のことを“頭蓋の空洞”と呼んでみます。


そうした作業を続けていると、“頭蓋の空洞”がいかに習慣的に作られたものであり、作り上げられるには作り上げられるなりの根拠があることがわかります。
そして、そうした“頭蓋の空洞”によって、直接的に生きられて感じられている、生き生きとした現実が捻じ曲げられてしまっていることに気づかされます。
生き生きとした現実とは、“頭蓋の空洞”が発生する根拠となっているような直接的な現実であり、自分と世界との瑞々しい意味の連関のことです。
(誤解を恐れずに表現すると、平沢氏がいっている“緑の神経網”の領域に近いかもしれません。)


@こうした瑞々しい意味の連関のことを“懺悔譚”と呼んでみます。



「“頭蓋の空洞”によって“懺悔譚”が生きられなくなってしまう、だからどうしよう?」ということで、今の仕事を目指したわけです。


ということは、僕は慈善的犠牲的他者救済的平和的理想的な精神から精神保健を目指したというわけではなく、“頭蓋の空洞”とどう折り合いをつければいいのか?という理由から今に至ったということがわかります。


そして、実際に勉強をして現場に出てみると、客観的な知識や技法を持つ人はたくさんいて、法制度の知識に長けている人もたくさんいて、活躍している人たちはたくさんいて、僕はそうした先人たちを見習わなければならないのですが、そもそも“懺悔譚”がどういう成り立ちになっていて、どんなときに“懺悔譚”が崩れたり隠されたりするのかといった、そもそもの成り立ちという部分がうまく把握できていないのではないか?と疑問に感じるようになりました。

そうした理由から“懺悔譚”の理由を探る必要性を感じたのです。


ですが、“懺悔譚”の理由を探ることには虚無感を感じます。
なぜなら、とてもプラグマティックに考えるなら、あんまり意味が無いからです。
“懺悔譚”の理由を探るよりも、知識や技法や法制度をたくみに操ることが出来るほうが役に立つからです。

しかし、“懺悔譚”の由縁を知らずにいると、安易な教条主義や折衷主義に陥ってしまう可能性があります。
さらに、すべての“頭蓋の空洞”の理由を知らずにいると、自分の知識や技法などが主義や主張に陥ってしまう可能性があります。

ですから、直接的には役に立たないとはわかっていながらも、“懺悔譚”の由縁を目指して現象学的な反省をしなければならず、その反省は哲学の系列になるわけだから哲学史について触れなければならなかったわけです。



・・・たぶん、こんなことしなくて、最初から客観的な知識や技法や法制度を目指すべきなんですが、僕のひねくれた性情から、それはつまらなく思え、つまらないからやらなかったw

だってつまんないwww


で。



今僕は、“懺悔譚”を探る作業から客観的な知識や技法や法制度を目指す段階にきているのだと思います。



そうした理由から、カウンセリングの勉強をするってことと制度の勉強をするってことと地域の勉強会に積極的に参加するってことは間違っては無いはず。




①基礎学(現象学とか)→②客観科学(技法とか知識とか)→③理念(法制度)





②と③は学校で習うこと。
学校でバカみたいに教えてくれて、これをよく覚えることが出来る人が評価される。

①は学校では教えてくれないこと。
現象がどんな成り立ちをしているかはなかなか問いとして成立しないみたい。
今流行の脳科学とかが近いかも・・・やってることは似てたりするし・・・っていうとちょっと乱暴かw




僕はこの流れで行こうとしているわけだから、次に目指すのは技法とか知識とかだ。
でも、客観科学とか理念とかは一度学校で習っているわけだから、ループしてるんだよな。
かっこつけていえば、解釈学的な循環っつーやつだwww
たぶん、僕は今年は技法とか知識とかを鍛えて、そしてまた基礎学にもどって、また技法や知識を目指すっていうか、そうした循環でどんどんどんどん正と反は合一して止揚されてさらに正になって・・・www




まあいいや。

そんな感じー。