媒概念。

基礎学は一時停止することにします。

今年はカウンセリングの技法について鍛えることにします。

「福祉士だからカウンセリングは違うんですよ」っていうのは、なんだか違和感がある・・・それは正しいことなんだけど、なんだか違和感があります。

・・・なんだか現実的ではない感じがする・・・それはあくまで“感じ”ってところが重要で、大切な根拠です・・・。

そもそも、現象学に興味を持ったのは、客観的な科学や客観的な宗教(←ここ重要。科学も宗教も、その成り立ち方は同じだから、決して対概念じゃない。)や客観的な主義や客観的な主張や客観的な理念といったものが嫌いだからです。
なぜ嫌いかといえば、そこには個人史が絡んでくるのですが、そうした客観的な理念によって直接的な現実が捻じ曲げられてしまうっていう逆転現象が多々あるからです。
そして、このことで生きることも死ぬことも出来なくなっているのは、なんだかいたたまれない気がします・・・というか、人の生き死には正直どうでもよくって、そんな高級な倫理的なもんじゃなくって、僕自身の個人史との係わり合いの中から、どうにか客観に食らい付かなきゃならないようになったのです。

そうしたわけで、直接的な現実を発掘する方法として現象学なわけです。

で。
現象学的な反省を繰り返していくと、直接的な現実として生活世界に行きつきます。
(まぁ、最初から現実はあるわけだから、“行きつく”っていう表現はおかしいんですが。。。)

そして、精神保健福祉士は直接的な現実である生活世界に身を置きます。
そして、その生活世界から始めて、一緒にどうしようか考えていくわけです。
そして、直接的な福祉的アプローチとなると、やはり制度を操るということになります。

だから、福祉士は直接的な現実である生活世界と理念的な制度の世界を行き来することになります。

・・・制度・・・制度は目に見えない・・・目に見えない観念の総体が制度です・・・僕が嫌いな客観的な理念世界だ。。。


生活世界を把握することは現象学的な態度で鍛え上げることができるとして、そこからどうやって理念の世界を目指せばいいのか?ってことが問題になってきます。

現実と理念のつながりをうまく把握しておかないと、簡単に価値観に陥ります。

「良い-悪い」・「幸福-不幸」といったように、価値観を作り上げて、それを元に制度を目指してしまいます。

それはそれでどこにも問題は無いんです。
そうした価値観によって立ったほうが情熱的に行動できるからまったくどこにも問題は無いんです。

だがしかし、違和感はあります。

現実から理念を目指す、その理由が必要な気がする。

なぜ、理由が必要かというと、理念(制度)を目指すために依って立つ基盤を価値観に据えると対立するからです。
それは価値観だから、地域や文化によって相対的だし、そもそも個人によって考え方が違うわけだから、理念(制度)を目指す理由としては真摯な感じがしない。。。


(・・・“感じ”ってところが大切・・・)


そうしたわけで、直接的な現実である生活世界と理念的な制度の世界を橋渡しをするための媒概念が必要になってきます。


そうした媒概念の一つとして、やはり心理的なアプローチの仕方はちゃんと心得ていないといけないんだろうなぁ。。。

つながりとしては、「直接的な現実(現象学)→直接的な現実の客観的な言い当て(心理)→理念の世界(制度)」ってことになるんだろう。


現象学的なことには一時停止しよう。
現実を把握しとかないと客観に現実が捻じ曲げられてしまうから現象学は大切なんだけど、アプローチの技法をいろいろもってないと、理念(制度)の世界をめがけるのに心もとなくってダメだ。

以上の理由から、今年は通年で産業カウンセラーの講座に通うことにしました。




・・・外来で来るような神経症的な人の役に立てたらいいな^^