光がちらちらとしている。

それは先ほどの出来事です。

先ほどというのは、平成22年1月28日午前1時10分~1時25分ごろにかけてのことです。

僕はドトウルから帰宅するために、道端を車で移動していたのです。

それはもう快適に、細野晴臣氏の「ai wo iwai aou」を聞きながら幻夢的な不在を感じつつ走行をしていたのです。

そして道端に、ちらちらと光るものがあり、そのちらちらと光るものとは光るライトの輝きだったのです。

僕は、「おや。あれは定期的に点滅しているので。なにかの合図のための信号なのだな。道端にある定期的に点滅する光といえば、それは注意を促すものであろう。ということは、あの光の下には、なにか注意しないとならないものがあるのだろう。僕はこの道端を何回も通過しているが、これまではこうしたちらちらとした光に気づかなかった。うかつだった。注意を促されているにもかかわらず、僕はその注意の合図に気がつかなかったのだ。とりあえず、このまま車の走行を続け、あのちらちらと光る光の下に行ってみよう。そうすれば、僕は何に対して注意をすればいいのかわかるだろう。その注意すべきものがわかったら、この道端はコレまでの道端とは違い、“注意すべきものがある道端”に変容するのであろう。そのような変容をこうむったら、僕の日常は一変して、ステキに快適な毎日を送ることが出来るかもしれない。車を走行させよう。そして、あのちらちらとした光の合図の下に行こう。。。」と思い、車を走行させたのです。

だがしかし、車を走行させてちらちらした光を確認すると、それは何かの注意を促す信号などではなく、たんなる不具合の生じた電灯だったのです。





僕は与えてしまったのだ。





不具合の生じた電灯に対して、まったく偽の意味を与えてしまったのだ。




よくみると、そのちらちらとした明滅さえ、まったくのランダムであり、そこに規則性を見出すことは出来ません。

しかし僕の不道徳な意識は、そのランダムな光の明滅に対して「ああ。定期的に点滅している何かの合図だ。」と思い込み、まったく自分勝手に注意すべきものがあるのだと想定し、普通の道端を“注意すべき道端”に変容させてしまったのです。

こんなに恐ろしいことはあるだろうか?

勝手な類推で現実を変容させてしまうなど、そんな自分勝手が許されて良いのだろうか。。。




おそらく、それは先入観念というべきものであります。
僕は道端を走行中に、先入観念が発生する瞬間を体験的に経験したのであります。
そうしたものがちらちらちらちらと、僕の視界のなかを渦巻いているのです。
ですので、幻夢がそこにあります。