母音が“え”。

上手く自己表現が出来ずに生きづらさを感じている人がいます。
彼らは表現の技法を持っていないわけだから、上手く生きれない。

・・・上手い自己表現の方法があればいいのになぁと思うけれど、自分と自分以外の視線がそれを許してくれなかったりします。。。




高齢者の中にも、上手い自己表現ができなくなっている人がいます。
かつては巧みな自己表現が出来ていたのかもしれないが、年齢とともにそのスキルが衰えてしまったのなら、偏った自己表現をせざるをえなくなってしまう。

・・・上手い自己表現の方法があればいいのになぁと思うけど、自分と自分以外の視線がそれを許してくれなかったりします。。。


今日、職場の上司が高齢者の対応をしていて、その人を笑わせていた^^
そこには倫理的・道徳的な要請はひとつも無いんです。
他者のために施しをしようなんていう超越的・特権的な視線はこれっぽっちもない。

・・・弱者に対する善意はいらない・・・。
・・・まったくいらない・・・。
・・・これっぽっちもいらない・・・。

そうではなくて、僕が信頼すべき僕の上司は、その人がもっている自己表現のスキルをうまく触発させて、そのスキルをこの世に炸裂することができるように促していたのです。
だから、その高齢者は笑顔を見せてくれたわけだ。




母音が“え”になると勇気が出る。




この世の出来事は意外に無慈悲で、ともすると善意や道徳の視線を信頼しないとやっていけないような逆境をあなたや僕に提示するかもしれない。

しかし、世界像を固めるだけが方法ではない。

その他のスキルもありえます。



母音が“え”になると、この世を強く肯定できます。。。



母音に“え”がつく言葉を連呼していると、なんだかやっていきそうな気分になる^^

で。

僕の友人がこの世に支配されて身動きが取れなっている姿をみると、“え”のスキルをを使いたくなる。

「ほころべ!」

と、連呼したくなる。


そうしたとき、僕は滑稽な行動をとってしまうかもしれないが、それでその人がほころんでくれるのならば、僕は風流できるのです。