妄想二秒。

車に乗って運転をしている。

ふと。

ノボリが目に入る。

車の左前方に見えるのは靴屋で、その靴屋が宣伝のために立てているノボリ(幟)だ。

そのノボリには、「赤いくつ」と書いてある。

さて。

どういうことだろうか?

この靴屋さんは“赤いくつ”を宣伝したいのだろうか?

“赤いくつ”というノボリが立っているということは、“赤いくつ”を宣伝しているということであり、“赤いくつ”を売りたいということだろう。

・・・“赤いくつ”で思い出すのは、例の“赤いくつ履いてた女の子”という歌だ。。。
確か続きは・・・“異人さんに連れられて行っちゃった”だ。

・・・悲しい・・・w

とても、新しい赤いくつを買って、ほくほく顔で帰って、わくわくしながら履いて、気分も気力も前向きに元気いっぱいに!・・・って気分になれない。

なぜなら、赤いくつを履いていた女の子は異なる人に連れられて、どこかに行っちゃったのだから。
そんな悲しい女の子の過去が赤いくつには乗っかっているので、“赤いくつ”という文字を見ても、あまり購買意欲はぞわぞわしないであろう。

いや。

おかしい。

そもそも、なんで“赤いくつ”としか書いていないんだ?

“赤いくつ”をどうしたいんだ?

売りたいのか?

もし売りたいのならば、“おしゃれな赤いくつを販売中!”とか“もってけ!レッドシューズ”とか“赤いくつを買わないと異人さんに連れ去られちゃうぞ!”とか“赤いくつを買うと幸福になります。”とか“赤いくつで意欲上昇”とか“赤くなくてもいいけど、どちらかといえば赤いくつっぽいのであろうか?”とか“おしゃれなあの子におしゃれな赤いくつをおしゃれにプレゼントしたらおしゃれではないだろうか?”とか“もしもこの世が滅亡し、滅亡した後も僕は僕の罪を償うために滅亡したこの世を放浪したとして、そこでやっと見つけた小さな女の子が赤いくつを履いていなかったら、それはこの世が滅亡する以上に絶望だから、そんな時のために赤いくつを!”みたいな、ちょっとだけ気のきいた売上向上フレーズを記載すべきではないのだろうか?

“赤いくつ”だけだなんて、やる気がないにも程がある。

・・・いや。

おかしい。。。

何かが変だ。

どこかに違和感がある。

僕には僕を疑う余地がある。

もういちど、ノボリの凝視を試みてみる。

・・・すると、風でノボリがくるりと一周し、“売りつくし”の文字が。。。www

“売りつくし”の文字を裏から見て、ノボリが赤かったこともあったのだろう、僕は間違えて“赤いくつ”と読んでしまったようだ。

ああ。

この間、おおよそ二秒。

妄想。