loop。

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在るは既に在る時点で、何かに立ち向かっています。

私は在るの一類型として既に在ります。

私は既に在るので、何かに立ち向かっています。。。



私が立ち向かっているものは決して実在的なものばかりではなく、意味の繋がりでもあります。

意味の投げかけの仕方の集まりは、個性を形作ります。

感覚に意味を与えるその意味の志向の特徴が、その人だけの世界の内を形作ります。

テクノにパンクスを感じたり、指揮者に従うのが嫌だったり、精神保健だったり、思想家嫌いだったり、スマーティアンだったり・・・。。。

そうした、僕の中にある意味の繋がりは、解釈学的な円環の中で、螺旋状に深みを増していく感じがします。

でも、上昇する感じじゃないんです。

上昇すると、定立化された理念の王国、彼岸のあの世に行ってしまいます。
どこにもない未在の在るを捏造して、その在るをめがけて上昇して行くのではありません。

そうじゃなくて、どこまでも螺旋状に落ちていく感じ。

既に在る現(いま・ここ)の姿を掘り下げていく感じ。
底がないループを次々と発掘作業していくようなニュアンスです。

テクノな彼岸にあこがれて、曲を作っていたときがあったけど、その時期はいったん収束して、哲学の本ばっかり読んでた時期があり、その時期もやっぱり収束して、精神保健や現象学も時期が開かれては収束するということを繰り返してきました。
収束したといっても、それは決して終了ということじゃなくて、それらは次の円環のために自分の中で待機しています。


で、最近、自分の中でテクノ感が再燃しつつあります。
僕の中では何度目かのループになります。
今回のループはどんな感じになるかはわかんないけど、とりあえず、また、SF小説でも読んでみようかなぁと思います^^


自分の中にある意味の繋がりがループしていくなかで、新しいループを発見するときがあります。
そうした場面に出会ったときはうれしいです。
最近は論理学ループを発見して、今そっち関係の本を読んでいますが、きっとこのループも時期が来たら収束して待機状態になるんだろうなぁ。

今回のテクノループが新たなループの発見につながればいいなぁと思いますw




・・・しかし、こうした意味の繋がりを追いかけていく技法は、プラグマティズムに屈服してしまう傾向にある。。。すこし残念w