見えないオベリスク。

なんつーか、展望に向かって進むときの不安感があります。

やることはわかっているし、それをやらないと先に進めないこともわかっているんです。

そのためには・・・どれだけ自分に敏感になれるか・・・彼岸を形作らずに進めるか・・・理念化された観念に支配されず、現(いま・ここ)のランダムな奥行きを味わえられるのか・・・ってところが肝なんだと思います。


何も作り上げないで先に進むこと。。。
本当の自分を形作らないで次に行くこと。。。
自己実現を想定しないで自己実現すること。。。


つまりは・・・花は成長するが、成長してしまうと、成長しない可能性を生み出す。。。近づけば近づくほど、遠さは遠のいてしまう。。。ポジティブは同時にネガティブをあわせ持つ・・・そして、それらは相反したまま合一している。
なので、ひとつの状態を、あるべき一様態として固定化してしまうと、その人は常に引き裂かれる自己にさいなまれる事になってしまう。


現実は、常に相反したものが癒合している。


僕自身もランダムな現の一様態であるから、その現は特殊的でしかないわけです。
でも、類型化できないことを知ると、孤独感にさいなまれる。

取るべき方法として、集団の中に現を埋没させて、自分の特殊性を汎化させることも可能でしょう・・・っていうか、それがまっとうな道かもしれない。。。心の平穏を求めるなら、グループワークの中に現を埋没させるべきなのかもしれない。

でも、お付き合いをしていかなければならない特殊性はあるわけで、そこを無視すると、世界への意味の繋がりは分断されてしまう・・・。


道は遠いなぁ。
立ち止まるともう、先は見えない。。。でも。。。“先は見えない”は“先が見える”を生みだし、それらは常に背反したまま合一していく。。。ということは、展望に向かって進むときの不安感は、ぜんぜん有りなんだと思います。


あぁ、よかった。
とりあえず、大丈夫でしたw