事実と意味。

概念に惑わされないように。。。

・・・惑わされても問題ないんですが・・・w






例えば神概念について。


神概念を認識したときに、その神概念がどんな現実を指し示しているのかには敏感になる必要があります。


例えば、神概念を使用している話者が、神概念を実在的に使用しているのか、意味的に使用しているのかでは、応答の仕方がまったく違ってきます。

(・・・というか、僕たちには実在的な意味と意味的な意味を混同して使用してしまうという傾向性があるので、敏感になるには相当な訓練を積んだセンスが必要なのですが。。。)


なんだかよくわかんないのに“すげー”って思っている人が、その“すげー”って思っている感覚を神概念で表しているときと、原因と結果に分けて、“すげー”の原因として神概念を想定しているときは、その神概念の使用の仕方は全然違っています。

実在的な視点は、原因と結果に分けて神概念を使用しています。
意味的な視点は、自分の持っている述語の中に表すものがないので、そのよくわからなさを神概念で表しています。



・・・僕たちは科学的な世界像に慣れているので、偉大な原因として神概念を使用しがちです。
つまり、客体的な使用方法、例えば「神がいる事を信じますか?」という使用方法をしがちです。
それはそれで問題はないんですが、別の使用方法・・・つまり、意味的な使用方法もあるし、その使用方法には原因と結果に分けて表現できないという特徴があります。


もはや神概念にはいろんな意味が付与されてしまっているので、もしその感覚を意味的な意味で使用するのならば、神とは別の述語を使って表現しなければならないのですが、僕たちは今のところ、そうした言葉を持ち合わせていません。
ですので、とりあえず意味的な表現をするときは、僕は“すげー”っていう言葉を使いますw