そうした客観視の一類型として。

僕は以前、お酒の席で酔っぱらって目が座わっている人を見て、“あぁ、この人はお酒をたくさん飲んだので酔っぱらっているのだなぁ。”と思ったものです。

僕は他者を客観視できる優位な立場に立っていたわけです。

しかし、今日の飲み会で僕はお酒を飲み過ぎたので、“目がが座っている”という指摘を受けました。

つまり、僕自身が客観的な分析を受ける立場になってしまったのです。

今まで見る立場にいたのに、その一言で僕は見られる立場になってしまった。

それはそれでしょうが無いことなんですが、若干の諦念の思いを感じたのは、僕のキャラクターが、分析される客観的な一類型になってしまった、ということです。

僕自身がまるで標本の昆虫のようになってしまったw

そうした昆虫のような思いをしている人たちがいると思うと、なんともいたたまれない思いになります。