履歴の目-1。

現実は混濁しており、それほど尊大じゃない。

ギリギリの現実の中では、尊大な理念や倫理や道徳や美徳は遙か彼岸の世界へ撤退していく。

そうした、価値評価を利用した話しがまるで通用しなくなってしまう生の現実があるんです。

生の現実にはただ僕を見つめる目があります。

その目は履歴からの視線です。

ただ履歴からの不愉快な視線が、今の僕を規定したり、行動に駆り立てたりしている。

ただそれだけ。




例えば目の前にタバコの箱があります。

表から見ても裏から見ても上から見ても下から見ても、それは同一のタバコであり、僕はそのことに疑いを持ちません。
しかし、よく考えると、表を見ているとき裏は隠れてしまいます。
裏を見ているとき表は隠れてしまいます。
上の面を見ているとき下の面は隠れてしまいます。
下の面を見ているとき上の面は隠れてしまいます。
同じタバコのはずなのにそこには常に時間的なズレがあり、表を見ているときの裏の信憑性は、自分の履歴に確信をおけるかどうかにかかってきます。


僕たちは表の世界しか生きれません。

にも関わらず、目の前のタバコの箱を同一のタバコの箱と確信し続けるためには、自分の記憶の中にある過去ログを参照し、そのログを確信し、同一だと信じ続けるしかありません。

このように現在は常に時間的な差異に脅かされいるわけです。
現在の経験は、確信の上に成り立っています。