『エイリアン:コヴェナント』の感想(ネタバレあり)。

エイリアン:コヴェナント』の字幕版に引き続いて、吹き替え版も観てきた。
すっごいおもしろかったけど、つくづく変な映画だった。



※以下ネタバレあり。



そもそもさ、コヴェナントはプロメテウスでばらまいた謎を回収してないの。でね、この映画の展開は、形式美と言っていいくらいエイリアンなの。だから、プロメテウスの謎解きを期待している観客は裏切られて、ただただ予想のつく展開の話を見せられることになるんだ。こんなんウケるわけないよwもちろん、ホラー映画を初めて見る人は別だよ。たぶん純粋に楽しめると思う。でも、ほとんどの人はエイリアンっていう映画がどういう物語かを知っているだろうから、見ていてドキドキもハラハラもしない。

ただね、この映画の中で表現されているテーマ自体はとても面白いんだ。いや、この映画の物語を“形式美としてのエイリアン物語”に留めて、前回の凝った謎解きを捨ててしまったのは正解だったかもしれないな。おかげでシリーズものの絞りカス映画ではなくて、ちゃんとした一本の映画として楽しめた。

でね、今回、登場人物の生き死には正直どうでもいいみたい。なぜならそれは形式美だから。エイリアンについての恐怖演出も形式美だからほとんど意味がないように感じられたな。たぶん主役は人間やエイリアンではなくって、アンドロイドのデヴィッドのほうなんだ。どうやらこの映画は、デヴィッドの苦悩がメインテーマになっているようだ。

デヴィッドっていうのは完璧な人間であるアンドロイドなんだ。まぁ、映画の冒頭でデヴィッドを作ったおっさん(ウェイランド)が「完璧だ!」って言っているからには完璧に違いなんだろうwでね、デヴィッドのどの辺が完璧な人間なのかっていうと、プロメテウスから続けて彼の行動も見ているとよくわかる。まず、知識が完璧だ。・・・まあ、デイヴィッドは機械だからねw覚えたことが過去の地平に消え去っていくことはないようだから、完全な記憶を持っていて、いつでもどこでもそれを完全に想起することができるようだ。だから知識も完璧(と思われる)。そして、完璧な推論もするんだ。だからこそエンジニアの言語を覚えることができたし、彼らの宇宙船を操縦することもできたんだろうね。でね、この推論はとても人間的なようで、どこまでも無限に進んでいくようなんだ。だからデヴィッドは誕生した瞬間から出来事を因果の繋がりに分けて考えて、創造論的な推論を繰り出してしまう。おっさん(ウェイランド)は、「人間が偶然の産物だなんて思いたくない!」っていう信念から創造論を繰り出していたけど、デヴィッドの場合はどうだろう?劇中にそうした信念を示す描写は見られなかったから、純粋に推論の果てに創造論に行き着いたってことじゃないかな(たぶん)。もし、こんなに人間的な推論を繰り出すんじゃなくって、ある程度推論をコントロールできていたのなら、コヴェナントの悲劇は防げたのかもしれないね。知識と推論は、合わせて知性と表現してもいいかもしれない。デヴィッドは完璧な知性を持っている。そして、デヴィッドは完璧な知性とともに、完璧な好奇心も持っているようだ。僕らは普通、何かをするときの動機を、性欲だとか睡眠欲だとか食欲だとか、そうした本能的なものに求めると思う。で、そうした本能的なものに共通する特徴ってのは何かな?って考えると、(反省を端折るけど)きっと‟充実と非充実”ってことになるだろうな。性欲であるなら‟性的な非充実に対する充実”だとか、睡眠欲であるなら‟寝ていないという非充実に対する充実”だとかね。でね、デヴィッドは機械だから、人間が本能って呼んでるそのような非充実に対して充実を求めることはないみたい。それらはもともと充実されているか、コントロールできるようだね。で、彼の行動を見ていると、どうやら知性に対する充実を求めているようだ。デヴィッドの持っている完璧な好奇心とは知性に対する充実を求めようとする好奇心のようで、彼はこの好奇心を満たすために人間を騙したり、自律した行動を取ったりするようだ。では、感情についてはどうだろう?そこは映画の中からは読み取れなかったな。なぜなら彼は機械であって、感情があるように振る舞うことができるようだし、感情があったとしても、それをコントロールすることができるようだから。だから、映画の中から見て取れるデヴィッドの特徴は、完璧な知性と好奇心を持っているということ。

そして、そんな完璧な人間であるアンドロイドのデヴィッドがプロメテウス~コヴェナントでどんな行動をしたかというと、これはもう悲劇としか言いようがない。デヴィッドは、エンジニアが作った寄生体(劇中では生物兵器という仮説と病原体という表現が出てくるけど、本当のところこの寄生体が何なのかは不明。ひょっとしたら、この寄生体が人類の起源に関わっているかもしれないし、それは次回作で明かされることなのかもしれないけど、今のところ、「生物に寄生して混合体を生み出すもの」としか言いようがない)を使って、エンジニアたちを滅ぼすんだ。なんでこんなことをしたのか、ちょっと動機はわからない。でも、彼は悲しげな表情で寄生体をエンジニアたちに撒き散らしていたな。なんで悲しげな表情なんだろう?彼の動機が分からないと表情の意味もわからないんだけど、その辺の説明は劇中にはありませんでした。そして、デヴィッドはより完璧な混合体(いわゆるおなじみのエイリアン)を生み出せるようにと、寄生体に対する実験を繰り返すんだ。その過程で、どうやらショウ博士に人体実験をして、ショウ博士に卵を産ませたらしい。でね、デヴィッドはショウ博士を愛していたという表現をするし、ショウ博士のことを話すときは切なそうな顔をするし、彼はショウ博士のための鎮魂の曲までも作っている。いったい、ショウ博士とデヴィッドの間に何があったんだろうね。そして、彼は何で寄生体を撒き散らしてエンジニアたちを絶滅させ、完璧な混合体を生み出そうとしたんだろう。そしてなんで彼は悲しげで涙を流すんだろう?デヴィッドは、クリス船長に「何を求めている?」と問いかけられ「創造」と答える。それはよくわかる。とても人間的な推論を繰り出す知性を持っていて、しかも完璧な好奇心があるのだから、完璧な生き物を創造したいってのもよくわかる。でもそれならなんでなんな悲しげで諦念感に満ちた表情や態度をするんだろう?・・・いったい彼はどんな動機で完璧な生命体を生み出そうとしたんだろう?・・・この先は解釈になってしまうから、感想は人それぞれだろうけど、僕には完璧な知性と好奇心を持ってしまったデヴィッドの苦悩と悲劇の物語に思えてしまった。

ということなので、今回は人間とエイリアンはけっこう脇役ですw
たぶんコヴェナントは、ファーストエイリアンをもう一度観させられているような気分になって、途中で席を立ちたくなると思うw

だからきっとこの映画の評判は良くないだろうなw
ウケるわけがないw
でも、デヴィッドに注目して映画を見ると、とても心が動かされるし、発見があるかもしれない。

最初この映画を見たとき、宗教映画かと思ったけど違ったみたい。信仰と神と創造性についての話かと思ったけど、見直したら信仰と神についての言及はほとんどなかった。むしろ、知性(知識と推論)と好奇心についてがテーマのようだ。

果たして次回作はどうなるんだろう?エンジニアたちが寄生体を作った動機や、デヴィッドの行動の動機は解明されるのでしょうか?