アマゾンズの感想・・・のようなもの。

アマゾンズシーズン2おもしろい!

シーズン1もおもしろかったんだけど、そのおもしろさをどう表現すればいいのかわからなくって、これまでもやもやしてたんだ。
で、昨日シーズン1のラスト2話を見返していたら、きっとアマゾンズの魅力は、ドラマを彩る価値観が不安定ってところにあるんだろうなって思えてきたの。

たぶんね。信念の塊のような人はこのドラマを楽しめないんじゃないかなって思うんだ。

信念の塊のような人のことは、尊敬と愛情の念を込めて“信念さん”って呼んであげよう。信念さんがどういう人かというと、自分の中で揺るぎない価値基準を作り上げちゃって、その枠組みでしか生きられない人のことだ。尊敬できそうでしょ?でも、現実ってランダムなんだよなぁ。常になにが起こるかわからない。いくら信念を作り上げたって、その通りに生きられるとは限らない。だから、“私はこうあるべき!”っていう自己像を作り上げたとしても、現実はかならずしもそうならないわけだ。ということで信念さんはあり得べき自己像と現実に訪れる自分自身の姿の中で、常に引き裂かれることになる。まぁ、生きづらいししんどいだろうな。そんで、信念さんがその生きづらさを自分で引き受けているうちはいいんだ。自分で自分の信念による引き裂かれる自己の責任を取ってくれるんなら、ひょっとしたらその信念さんは立派な人格者とかになるかもしれない。でもね。みんながみんな引き裂かれる自己を了解できるとは限らない。でね。怖いのは、信念さんが引き裂かれた自己の辛さを、自分以外の誰かのせいにしだしたときだ!いやあ、これは怖いよ。“私は正しい!正しいわたしが辛い思いをするのはお前らのせいだ!!”とかなっちゃうんだよ。もうもう、こうなったら正義のチンピラみたいなもんだw

で。
なにを書いてるんだ?
そう。
アマゾンズの感想だったw

でね。もし信念さんがアマゾンズを観たのなら、きっと不快な気分になるだろうなぁ。登場人物の中には行動原理が異質過ぎて、どう理解してどう感情移入したらいいのかわからない人たちも出てくるしなぁ。それは、とうてい“こうあるべき!”って価値観じゃないんだ。

ほとんどの登場人物の価値観がまかり通らないようなもので、その価値観に感情移入するのはなかなか難しい。シーズン1は見ながら何度も泣いたし、心がぐらんぐらんしたんだけど、それは信念さんが喜ぶような白黒はっきりした価値観に心が揺さぶられるんじゃなくって、全く同意できないような筋が通ってるんだか通ってないんだかわかんないような価値観を生きざるを得ず生きている人たちの姿が描かれているから感情が動くって感じなんだ。“生きざるをえない”の部分。これが肝。だから見ていて心がぐらぐらしてくるんだろうなー。

ってことでシーズン2の2話目見ます!