シン・ゴジラの感想・その2!

※ネタバレあり。



※深刻なネタバレありだから観てない人は読んじゃダメだ!



※観てない人は読むと死んでしまうから読んじゃダメ!




ああそうか。ゴジラはリアクションなんだ。

このことを考えるためには、理性をコントロールしながら考えてあげる必要がある。理性といっても、なにか倫理的・道徳的に考えましょうということではなく、推論の能力が暴走しないように気を付けながら考えましょうってこと。

僕らは出来事に意味を付ける生き物だから、ゴジラの行動についても、いろいろ解釈をして理解したくなってしまうだろう。たとえば、「ゴジラは核を作り上げてしまった人間の愚かしい文明を滅ぼすために現れた神の化身だ!」なんて。もし、ゴジラに人間と同じような世界が現象していて、人間と同じような価値を持っているならば、そのような意図をもって行動しているといえるかもしれないけど、劇中にそうした描写はないわけだからそうとはいえないな。もし、それでもこうした解釈を進めるのであれば、それは人が出来事に勝手に意味を付け加えたことになるから、暴走した推論の能力の虜になっているってことだろう。

劇中の情報だけで整理をすると、ゴジラは“海に住んでいたなんらかの生き物が放射性廃棄物質を食べた。その反応として進化をした”ただこれだけのことなんだ。そして、ゴジラがなにをするかっていうと、ただ移動するだけ。そう、ゴジラは移動しかしないんだよ。なぜ移動するのかといっても、その意図は劇中からは読み取れません。ここで推論を暴走させると、「日本に恨みを持っているからだ!」とか、そうした解釈が生み出されてしまう。それだと妄想とたいして変わらないから、事実だけ見るとゴジラはただ移動するだけ。


そして、ゴジラは攻撃しないんだ。僕らのイメージの中のゴジラは、なんだか癇癪もちで火ばっかり噴いて街を壊す怪獣だったけど、シン・ゴジラに中のゴジラはただ移動するだけで、自分から攻撃しようとしない。ゴジラが火を噴くのは、米軍に傷つけられて、その反応としてなんだ。完全生物の絶対的な攻撃だから、とんでもない報復が待っているわけで、だからこそあのシーンの絶望的な音楽が意味を持ってくるわけだ。自動的に終わりを告げられるような絶望感っていうのかな。

事実だけ見て考えるとおもしろいな。シン・ゴジラは“良いー悪い”とか“幸ー不幸”とか、そうした価値の枠内の出来事ってわけじゃなくって、ただ、人間の行為っていうアクションがあればそのリアクションが返ってくるっていうそれだけのことしか表現してないんだものな。

もし、この映画にドラマがあったらこうはならなかっただろうな。よけいな意味を付け加える要素があったら、ゴジラの行動もなんらかの意味のあるものとして解釈を受けてしまう可能性がある。でも、ドラマがないから、ゴジラに意味を付けることは不可能で、単に人間の行為に対するリアクションってことになるんだろうな。

おもしろいな。なによりこんな映画がヒットして、高評価がついてしまっているってのが痛快だ。だって、たいていのヒット作はドラマがあって感動できるものでしょ?この映画は真反対なのに、受け入れられちゃってるんだもの。あり得ないよw