シン・ゴジラはくるんくるんする。

いやあのシン・ゴジラについてなんだけど、やっぱすごいよ。さすがだよ。何度観ても心にぐさぐさくる。

シン・ゴジラを観るとね、頭がくらくらくらーってなって、心がぐらぐらぐらーってなって、涙がはらはらはらーってなって、最終的にちょっと元気になれるんだ。




※以下ネタバレあり。ストーリーには触れてないけどたぶんネタバレになってる。




頭がくらくらするのには理由があって、たくさんの情報を一気に流し込まれるからです。この情報大量投入の効果はバツグンで、だれ場がだれないんだ。ずっと緊張感をもって観てられる。

心がぐらぐらするのにも理由があって、それは日本人が抱えている3.11のトラウマ感を微妙にくすぐってくれるからです。なんだか映画観ながら、敏感な人は具合が悪くなっちゃうんじゃないかと心配になっちゃったよ。

そして、はらはらと流れる涙については理由がなんだかわかりません。っていうのも、この映画にはドラマがないんだよ。正義を語る人も悪意を持って行動する人もいないんだ。ヒーローもいなければ悲劇のヒロインもいないの。ただゴジラが出てきてそれに対応する人たちがいるだけ。現実原則の中でただ淡々と物語は進んでいきます。この映画は確かに泣けるんだけど、それは確実に感動の涙じゃないんだ。もっといろんな感情が入り混じった感じっていうのかな。脅威であったり畏怖であったり諦念であったり、なんかそんないろいろな感じ。こういう感覚の涙を流せる映画ってめずらしいんじゃないかな?

元気になれる理由ははっきりしています。それは、日本人の美徳を尊重した話であるからです。なんかね、この映画にヒーローやヒロインはいないけど、登場人物のそれぞれがそれぞれのできる範囲で役割を全うしようと頑張るんだ。これが気持ちいいの!ドラマを作っちゃったらこの気持ち良さは出てこないだろうな。

いやあ。
話は変わるけど、庵野氏って言えばエバだよね。僕はエバには一瞬はまったけど一瞬で醒めてしまった。っていうのも、エバは瞬く間に商品と化してしまったから、語るのが気恥ずかしく感じてしまってダメなんだ。キューブリックについては語れる。タルコフスキーについては語れる。塚本晋也氏については語れる(劇中ではかっこよかった!)。でも、エバはよく売れる商品になっちゃったから、現実味があったのは一瞬だけで、その後はなんだかつまらなかった。そこにいくとシン・ゴジラは逆なんだ。ゴジラ庵野氏が監督をする以前から既に商品と化している。“火を噴いて街を壊す原爆怪獣”っていう商品として、僕らのイメージの世界に住み着いてしまっている。でね。シン・ゴジラではこのイメージの中の怪獣を、みごと現実に降ろしてきてくれたんだよ。

いや、シン・ゴジラのなにがすごいってここなんだよな。観客はイメージのゴジラを観に行くだろうけど、映画の中には現実のゴジラがいるんだ。現実のゴジラは無慈悲な生き物。そして登場人物たちは、現実だと思われる社会の仕組みに乗っ取ってゴジラに対応していくんだけど、この社会の仕組みってのがまどろっこしくて、現実から基礎付けられたものなのかどうかあやふやになってくる。僕がこの前ツイートした、“虚構対現実の構図がくるんくるんする”っていうのはこういう感じのことなんだよなぁ。

いやあ。
庵野氏は人の心に傷を付けるのが得意なようだ。こんな映画を世に解き放って、日本人はどうなってしまうんだろう。

リンク先は3.11の一週間後に書いたブログの記事です。このときも現実が変なふうになって参った。