寄席とかメタノエシスとかいろいろ。

いやああのねぇ。4月あたりから寄席に通うようになったんだけど、僕はこれまで❝あいだ❞に鈍感だったのかもしれないなぁ。

❝あいだ❞っていうのは、雰囲気とかムードとか、受動的綜合とかそんな感じ。いやまぁ、そういうことを無視していたってことはないんだけど、❝あいだ❞を意識してあいだにアプローチしてってことは、いままでしてこなかったかもしれない。僕は❝あいだ❞を鍛えてこなかったんだ。

僕も人前に立って講義のようなことをすることがあるんだけど、正直❝あいだ❞を支配するなんてことはできない。その会場でどんな❝あいだ❞が発生するかは、もう、聴衆まかせで、聴衆にいい雰囲気な人が多ければ、その講義はいい感じの❝あいだ❞で進んでいくことができるんだけど、なんか緊張感があるときはもうもうダメで、学校の先生の授業のようになってしまう。

・・・僕は中~高と吹奏楽部で、その感じでいうと、僕には指揮者感が足りないってことなんだろうな。講義を合奏体験に仕立て上げるような力だ。それがないんだ。

でね。噺家さんはやっぱりすごいね。やっぱりプロなんだ。指揮者と比べるのは土俵が違うからへんかもしれないけど、❝あいだ❞をうまく操って、聴き手に演奏させるの(これが、木村敏先生のいうところのメタノエシスって感じなんだよなぁ。自然と次の音を演奏してしまう感じ。落語を聞いている場合は、噺家さんに合わせて自然に笑いが出てしまう感じ)。

でね、昨日連雀亭に行って、そのときはお客さんが9人で、正直「こんな状態で笑えないよ」とか思ってたんだけど、やっぱ噺家さんはプロなんだよね。うまく❝あいだ❞を操作して、面白い感じにしてくれるんだ。

でね。昨日は連雀亭のあと鈴本演芸場で馬石師匠の「豊志賀の死」っていう怪談話を聴いたんだ。僕はにわか落語ファンだから、怪談話を聴くこと自体が初めてだったんだけど、❝あいだ❞をうまく使うと、あんなにも怖い感じを出せるものなんだね。なんていうんだろう。緊張感っていうか張り詰めた感じっていうか、「なんかここで大変なことが起こっているぞ!」っていう感じっていうのかな。それがひしひしと伝わってきてすごかった!なんていうのか・・・「怖い話が語られてるから怖い」ではなくて「空気感が怖い」っていうのかな。

・・・ああ・・・こういうのは言葉で表現するとダメだなぁ・・・なんていうか、勢いがなくなってしまう・・・でも、言葉にするとこんな感じだ。

で、どうやら今日は昨日の続きで「お久殺し」だったらしいです。あー。聴きたかったなー。今日も休みだったから行けばよかったなー。

❝あいだ❞って表現してますけど、それは❝相互主観的❞とか❝間主観的❞とかそんなニュアンス。雰囲気とかムードとかそんな感じ。能動的な意識に気づかれる以前の受動的な意識の感じ。ブーバーが馬を撫でてるときの感じ。