吐き気止めの話。

去年一年間を振り返ると、地味にすごかったのは、音楽の定額配信サービスが始まったということかもしれないな。
 
サルトルの『嘔吐』を読んでいるところで、まだ読了してはいないんだけど、概説書などを読むとどうやらこういうことらしい。
 
『嘔吐』の主役であるロカンタン君はなんだか吐き気を感じます。その吐き気はどんなものかというと、それは飲みすぎたとか風邪をひいたとかそういうことではなくて、被投的な現実に対する不安感とでもいうもののようです。
 
こんなふうに概念化して表現すると堅苦しくなってしまうけど、そんなに大げさなことじゃないです。被投性っていうのは、、ようは、「僕たちは何の後ろ盾もなくこの世界に投げ入れられている」って感じです。なんらかの世界観を利用して考えるのであれば、こんな被投性なんてのは出てくる余地もないんだけど、世界が現象するその構成をありのまま記述しようと試みるのなら、なにかの世界観を利用することは前提として禁じてとしておかないとならない。ここでいう世界観とは、科学的な世界観とか宗教的な世界観とかそういうものです。科学の話をすると・・・めんどくさくなりし、手に余るからおいといて、まぁ「誰かが世界を作った」とか「世界にはこういう意味がある」とか、そうした物語はいったんわきに置いておいて、ありのままの現実を記述しましょうという態度が現象学の態度になります。まずは知覚の分析から入って、時間概念の分析とかもやって、意味が形作られる様子を記述したり、そこから世界観が形作られる様子まで行きついて初めて物語について語られるようになるんだろうけど、まず、すべての前提を取っ払ってしまうと、被投性という現実があらわになる。
 
どうやらロカンタン君はこの被投的な現実に気づいてしまったらしい。「宗教にしろ科学にしろ、あらゆる世界観は後付け人間が現象につけくわえたものだ。ありのままの現実ってのは、ただ偶然的にそこにあるだけじゃないか」・・・まぁ、こんなセリフは小説の中には出てきませんが・・・。僕はまだ『嘔吐』を途中までしか読んでないから、ロカンタン君が分析的にここに行き着いたのか、それとも体験的に行き着いたのかはわかりません。・・・体験的に行き着いたのならそれはちょっと病的だよなぁ。現象にくっついている意味が剥がれ落ちる体験ということだから、それはしんどいことだろう。まぁ、ロカンタン君は被投的な現実に気づき、吐き気を感じるようになった。そして、この吐き気を和らげるものとして音楽が登場します。
 
・・・こういう文章は最後まで読んでから書いたほうがいいんだろうけど、概説書によると、どうやらロカンタン君はレコードの音楽を聴いていると吐き気が止まるらしい。なぜなら、レコードから聞こえてくる音楽って、決まった時に決まった音が流れるでしょ?だから、偶然的に訪れる現実経験とは違って、レコードの中には必然性が見て取れるらしいんだ。そんなんやってるうちに、ロカンタン君は必然の世界である小説でも書こうかなぁってことになるらしい。
 
でね。
音楽ってパッケージ化されてるじゃない。僕も昔は少し音楽やってて、作った音楽を何曲かまとめて人に聞いてもらおうとするときには、やっぱりそれらしいタイトルを付けたりジャケットを作ったりするわけだよ。たぶん、音楽のパッケージ化が始まったのは音楽を録音して残して置けるようになってからなんだろ受けど、長らく人は、音楽をパッケージ化して、実在物のように取り扱うことに慣れてしまったようなんだ。
 
そして、音楽配信サービスは、こうしたパッケージ化を崩してしまう働きがあるんじゃないかぁって思えるんだ。僕もAWALINEミュージックやgoogleミュージックを利用してみて感じたんだけど、大量の音楽をその時の興味で聴くってことに慣れてしまうと、レコードやCDのようにパッケージ化してしまうということ自体、なにか特殊な、一時的なことだんじゃないのかなぁとか思えてしまう。もちろん、「音楽はCDで買うべきだ」とかそうした主義や主張を振りかざすこともできるだろうけど、なんだかそれだと現実を理念で捻じ曲げてしまうことにもなりかねないし、なによりつまらない。
 
それと同時にわかるのは、何かを表現するというのは、ロカンタン君が感じた(であろう)ことではないけど、偶然的な出来事を切り取って必然にもたらすことなのかもしれないな。もちろん、あまりに恣意的になってしまうとそれはそれでつまらないだろうけど、そうはいっても偶然性を偶然性として表現するにしても、何らかの形でパッケージ化をせざるを得ないわけだから、そこには“必然にもたらす”ということがついて回るのだろうし。
 
・・・そうか・・・ある意味、偶然性を実在化させるのが表現ということなのかもしれないな・・・実在化か・・・。
 
もし、音楽配信サービスが日常になるとしよう。そうなると、CDのようなやり方とは別で、パッケージ化のやり方を考えないとならないのかもしれないな。・・・っていうか、音楽のパッケージ化は楽曲レベルに戻るのかもしれない・・・もっと言えば譜面レベルに戻るかも・・・。そうなったら面白いだろうな。
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