ト・シュノロン。

なんとなく同年代の友人たちが調子を崩して行く。
 
どうも推論の罠に陥っているようだ。
 
人って、推論(推論ていうか、思い描く能力ってとらえてもらったほうが分かりやすいかも)を繰り返して世界像を思い描くでしょ。一番身近な世界像っていったら社会で、社会の中にはそれなりのルールがあるわけだ。礼儀作法があって、やっていいこととやっちゃいけないことと、そういうものがある。社会っていうのは世界像であるから決して実態を持たない。つまり❝観念の網の目❞って表現できそうだよね・・・❝意味の網の目❞って言ったほうが適切かな。ほかには宗教っていうのも世界像だし、なにかの学会ってのも世界像といえる。同じ物の見方(世界像)を身につけている集団だ。
 
で。
 
人が人と一緒に生きていくためには社会っていう世界像を学ばないといけないし、いかにそれに同化できるかが、ある意味うまく生き抜くためのポイントかもしれないよね。
 
でも怖いのはこうした世界像が実体化してしまうときだ。
目の前にあるこのPCのように、その人にとって実在するものとして実体化してしまうとき。
 
でね。若者って概ね反抗的じゃない。まぁ、なかには従順すぎて心配になる子もいるけど、なにかに抗っている姿って、若々しさを感じるものだ。頭が柔らかいっていったら単純化しすぎているかもしれないけど、決して社会っていう意味の網の目を実体化させようとしないところが若者にはあるわけだ。これって、健康的に生きていくためには結構大切なことなんじゃないかな?
 
っていうのも、調子を崩していく友人を見ていると、実体化した社会っていう世界像に行動が規定されてしんどい思いをしているようなんだ。まぁ、礼儀作法やルールを守んないと生きていけないわけだから仕方がないことではあるんだけど、それを目の前にあるPCのように実体化させてしまったら、やっぱしんどいよなぁ。
 
ひょっとしたら、年を取るってのは、意味が実体化してしまうことなのかもしれないね。まぁ、そうなった大人は大抵口うるさいし、一緒にいて嫌なものだけどwっ
 
てことで、健康的に生きるために、柔軟に現実に則したものの見方をしたいものだ。
 
・・・・って、とっても無難なまとめになったwww