無垢と未熟。

インターネットで政治や宗教や民族間の差異などについて話すということは、顔を隠して他人の庭で排便するようなものだから、あまり品格のある行為とはいえないと思う。そうした話は自分の在りようがかけられて初めて意味をなすようなものだから、軽々しく扱うものではないと思う。だがしかし、兵庫県の県議である野々ちーの動画を見ていたら、声を上げずにはいられなくなってきた。

憲法の解釈が変えられて集団的自衛権が認められるのには反対だ。だがしかし、そこには少なくとも、世界の中での日本の在りようを考えての政治的な駆け引きという、理性的な判断があるだろう。なにも考えずに憲法の解釈を変えるというわけではないと思う(もちろん、僕はそれは間違ってると思うから反対だ)。

だがしかし、野々ちーは子供じゃないか。なんで県議になってるんだ?

もちろん、子供のような無垢な性質が必要とされるときはあるだろう。それは、世界像(ものの見方)が凝り固まってしまって身動きがとれなかったり、新たな創造性を必要とされる場面に置いてだ。決して、駄々をこねることを求められてということではない(なにかの文章を書くときに、僕は大抵「~と思われる」や「~ではないだろうか?」という締め方をするのだが、ここは断定的に言い切れる)。

なんでだろう?
なんで47歳にもなって駄々をこねるんだろう?

まっとうな教育をうける機会がなかったのか。。。
それとも彼の支援者に見る目がなかったのか。。。

僕らは気をつけないとならないな。
無垢性と未熟さの違いに嗅覚を尖らせないといけない。野々ちーはかわいそうな人なんだろうけど、彼を反面教師にしよう。

自分の中の未熟さには鞭を打って、無垢性を大切にできるよう努力をしよう。