暗闇の熊(映画『トランセンデンス』の感想)

※ネタバレ注意(結末まで書いてあります)。



かくれんぼか鬼ごっこということなのだな。。。

先日、大槻ケンヂと絶望少女達の「かくれんぼか鬼ごっこよ」というアルバムを買った。6年前に出てて、買おう買おうと思いながら買わずにいたんだけど、いやあ良いアルバムだった。

鬼にしたり鬼にされたり・・・そんなふうに意味を投げかけたのは自分自身だったり・・・。

そして、今日はトランセンデンスを見に行きました。

いやあ。予想に反して真面目な映画だったな。良い映画だった。
映画を見る前のイメージは、「悪の天才科学者が自分の頭脳をコンピューターに移植して人類抹殺を企てる!」みたいに思ってたんだけど、全然違ってた。これは人間性を問う物語だ。

人間性を問う❞というと、大抵は、人々が一般的に思い描いている倫理的道徳的な枠組みを揺さぶって、観客に映画内の出来事を考えさせるような物語になるんだろうけど、そういう感じでもないんだ。いや、考えさせられる物語ではあるんだけど、それは倫理とか道徳以前の、もっと根源的な人間らしさを問うような物語なんだ。

そもそもね。機械に自我を移したウィルは、そんな変なことはしていないんだよ。人類に向けて、変革をもたらすような思い切った行動を起こしたってわけじゃない。自我機械となったウィルは、いかに自分が人類にとって異質に映るか十分理解したうえで、病気を治したりとゆっくり行動に移そうとしている。そして、ナノロボで意識を共有された自我機械の在りように恐怖を抱いて攻撃し出すのは人間たちなんだ。ウィルはもはや人間じゃないし、人間っていうか❝なんか別のもの❞なんだけど、理解できないからというだけ(まぁそれは十分な理由ではあるんだけど)で人間たちはウィルを排除しようとするんだ。ナノロボで意識共有された人間たちをみて、素の人間たちは「兵士を作ってる!」って言いだすんだけど、それは被害妄想もいいところで、かってに怖がってかってに攻撃しているだけなんだ。鬼ごっこの鬼に仕立てあげてるようなもんだ。もし物語りの中に、ウィルが人類支配に乗り出すような描写があれば別だけど、そんな描写はないしなぁ。「ウィルの意志に従わないものは生きていけなくなる」とか素の人間が言う場面もあるけど、その根拠がどこにあるのかも分からないし。

人間たちの行動が、暗闇の中のありもしない熊を怖がっているようで滑稽だった。

むしろ彼らは、人間とは別の生き物となったウィルとコミュニケーションを取るべきじゃなかったのかな?

そうはいっても、未知のものを排除して壊してしまうのが人間性ってもんだし、そういう意味であのストーリーはアリだったってことかな。。。

映画だとウィルは人間に殺されちゃうんだけど、たぶんアーサー・C・クラーク(スターリングとかグレッグ・ベアとか)だったらもっと楽天的に人類の未来を書いてただろうな。人間の倫理的道徳的な枠組をどんどん壊していって、別の在り方も認めるような持って行き方というのかな。

映画のラストで、ウィルのナノロボがわずかに生き残ってたような描写があったのが救いだったな。きっと人間が暗闇の熊を乗り越えるには時間がかかるんだ。

まぁ、こんな主題の映画だから、受けるはずないよねw
一番大きいスクリーンで上映してたけど、お客さん入ってなかったしw
映画が始まる前に爆笑問題のナレーションが入ってたけど、配給側の配慮ってことなのかな?
解説してあげないと、観客はきっとキョトンとしたまま終わっちゃうだろうし。

そうそう。
先日『アナと雪の女王』を見たんだ。僕は「レリゴー(ありのままに)」という歌詞から、偏見に負けずに自分らしく生きることを主題とした映画なのかなと思ったんだけど、実際はアガペー的な無償の愛がテーマだった。トランセンデンスは人間の排他性を扱っていることから、簡単に偏見を持ってしまう人間の愚かさ(人間らしさ)を感じることができた。