マクドナルドにて。

駅前のマクドナルドに久しぶりに来た。

相変わらず風俗の客引きの姉ちゃんは頑張ってるし、一日に何人くらいお店を利用するのか気になるところだけど、まぁそれはどうでもよくって・・・いま公衆電話を利用した人がいたけど、きっと彼女の携帯電話かスマホは電池が切れてしまったんだろうな・・・もしくは携帯電話かスマホを家に忘れてきてしまったのかなぁ・・・ということは、彼女は今日一日、❝人とつながれない不安感❞に苛まれながら過ごしたのかもしれないな・・・かわいそうに・・・。

いや。

❝かわいそう❞と表現するのはどうだろうか?かわいそうという表現には少し価値が混ざっている。❝残念だった❞のほうが現実の偶然性を尊重している分まだ公平なのかもしれない。

そんな残念な彼女は今日は不安感に苛まれていたのだろうか。

それはかくれんぼか鬼ごっこのようなもので、隠れたり隠されたり、追われたり追いかけたりするような一日だったのだろうな。なぜならば、携帯電話やスマホがないということは、緊急の時に現実以外と繋がる手段を奪われてしまったということだからだ。

・・・ここでいう❝現実❞とは狭い意味での現実で、目で見て手で触れれる現実のことで、多くの人は、日が出ているうちはこうした現実の中で生きていることを余儀なくされています。そういう現実で満足できる人なら別に問題はないんだろうけど、決してそれが全てじゃない。目で見えなくって手で触れることができない内的現実に重きを置く人たちもいるわけで、そうした人たちにとって、携帯電話やスマホが手元にないことはつらいことだ。

いや。

目に見えなくて手に触れれない現実を味方につけれるということで、テクノロジーは内的現実に重きを置く人たちにとっては大切なものなんだ。。。

あー。こういう話って、10年前であれば「なるほど」という話だと思うんだけど、今だと新鮮さに欠けてるねw
でも、あたかも狭い現実で生きれることだけを社会人とみなしている人たちもいるようだし、そういう人たちに会うたびに残念な気分になる・・・いや、あえて❝かわいそう❞と表現しよう。

あ。

6年越しで「かくれんぼか鬼ごっこよ」を買った。大槻ケンヂと絶望少女達のアルバムだDVD付きのやつ。
中古で。いやあ良いアルバムだ。

明日も仕事だー。

スマホは忘れないようにしよう。