限界状況は現れる。

【問】

目の前に死にたい人がいる・・・だがしかし私は下痢だ。。。

どうする?




倫理的道徳的にみると、私は彼の元に駆け寄って話を聴くべきだろう。
だがしかし、私は下痢なのだ。
彼の元に駆け寄る頃には、私は確実に脱糞するだろう。
その場合、私は糞まみれで彼を説得することになる。。。


・・・これでいいのだろうか?・・・


はたして、糞まみれの人間の話など、人は聴いてくれるものなのだろうか?
・・・そんな人間が突然目の前に現れたら彼は驚きのあまり死んでしまうかもしれないな。。。
いや、むしろ人間というものは、死にたいと思っているときに糞まみれの人間を見たら、死んでしまうものなのです。。。

・・・それはいけない・・・

糞は人を殺すのだ。

・・・ということは、近代的な自我を正しく使用して全く持って合理性的に考えるならば、まず、私は彼に「私は下痢だ」という、どうしようもない事実を伝えるべきだろう。
あまり大きな声をだしてはいけない。
大きな声で話すと、その勢いで脱糞して死んでしまう可能性がある。
なので、比較的小さな声で話すのだ。
比較的小さな声で、次のように話すのだ。

「私はあなたを助けたい!この思いはなんら自利でも他利でもなく、私の心に去来する疑いようのない無垢な声なのだ!だが私は下痢だ!今にも脱糞しそうなのだ!脱糞している私の姿を見たのなら、あなたはその衝撃のあまり、たちまち死んでしまうだろう。だから!私に少し時間をくれないだろうか? もしあなたが私に少しの時間をくれたのなら、私は脱糞しないように括約筋をキリッと締めながら勇敢に歩行し、トイレで排便をしてくるだろう。そして!今現在よりも真摯かつ重厚な態度であなたの話を聴けるだろう!だから!私がトイレから戻ってくるまで死なずにいてくれ!」と!

もしも彼が近代的な自我を正しく使用して全く持って合理性的な判断ができる人間であるのならば、つまり、普通の人間であるのならば、私の話も聞き入れてくれるだろう。

その上で彼が死を選ぶのならば、私はその死を尊重する他ないのだ。。。