うつについてぐだぐだと。。。

うつについていろいろ考えてみたんだけど、全称(すべて)と存在(ある)の違いってのはけっこう胆かも。

「全て~である」と「~がある」の違いだ。

例えば、うつにならない秘訣として「できないことは上手に断ろう」ってのがあるかもしれない。
もし、「全てのできないことを上手に断る」って捉えて、なんでもかんでも断ってしまっていたら、その人は自分を成長させる機会を逃してしまうだろう。
もし、「できないことは上手に断ることもある」であれば、できないことに挑戦する可能性が開けたままであり、やばいときは断ろうっていうちょっと健康的なニュアンスがある。

こんなふうに抽象的な観念に対する量にまつわる判断が混乱しているところが特徴的なのかもしれないな。

では、なんでこんな量的な判断が混乱するのかってことなんだけど、原因探しは泥沼にはまる可能性があるから止めておいて、単に現象として「こうなるときもある」って捉えておいた方が無難かも。

人ってきっとそうしたもんなんだろうな。

逆に大切なのは、量的判断が混乱したときにそれに気づけるかどうかってことなんだろう。

・・・何でこんなことを書くのかというと、仕事をしていて、すごい自信が湧くときと、まったく自信がなくなるときが交互に繰り返されて自分自身参ってしまって、「なんでだろう?」って考えてみると、そうした時はたいてい自分の中の量的判断が混乱していることがわかったからだ。
で、これって認知行動療法とかでいわれているような自動思考のひとつだよなぁってあらためて気づいた。