集団のまとめ方について思ったこと。

この1年半室長経験をして、何より勉強になったのは、集団のまとめかたに付いてです。

まず、人のものの見方として、ふたつの領域があります。それは事実の部分と意味の部分です。(先日の講義では、客観領域と実存領域と名付けた部分です。)

事実の領域は客観的に目に見える部分、意味の領域はその人にとって生きられて感じられている部分。
おそらく、この二つの領域は相補関係になっていて、互いの領域が互いの領域を必要としています。

部署で何が起こっているのか、単に事実にのみ着目してもそれを部署の構成員がどう感じているかという意味を無視してはことは進まないということです。これは、僕自身気を付けなければならないことだったんですが、「人が足りないから人員を回す」ってやり方だと、回された人は潰れてしまいます。(事実、僕の部署ではそれが起こりました。その人に対しては申し訳ない気持ちでいっぱい。)そうした人の動かし方をするよりも、部署の凝集性を高めて、「人が足りないけどガンバロウ!」という方向に持っていったほうがより生産的のようです。つまり、部署で起こっていることを事実として捉えるのではなく、意味として捉えて、みんなで先に進んでいくやり方です。

「出来事を意味として捉えたほうが生産性が高い」

これとともに勉強になったのは、「関心に相関して意味は産み出される」ということです。(西條さんのいってるような構造構成主義的な意味での“関心相関性”って感じ)

というのも、仮想敵が作られると、集団の凝集性は高まります。
実際、僕の部署でも仮想敵がいることによって、新しいことをやろうという力が生まれました。もちろん、なんの根拠もなしに仮想敵を仕立て上げるということではなく、それなりの理不尽さを感じたから、「あの人たちに立ち向かおう」という感じになったわけですが。。。。
だがしかし、仮想敵がいることを根拠にしたまとまりかたって少し不健康なところがありあます。それは、もし、仮想敵を仮想敵と思えなくなってしまったときに、その集団の中にある暗黙の律(ルール)が、その人を排除しようと働いてしまう可能性があるということです。

ですので、おそらく、集団をまとめるためには「関心」に着目してことをすすめる必要があるのだと思います。たとえば、僕の職場で仮想敵になっている人たちの理不尽な行いが、どんな「関心」に基づいて行われているのか、このことに着目する必要があるでしょう。

もしかしたら、その理不尽な行いはそうせざるを得ないからそうしたのかもしれないし、その判断を取り巻いている根拠があるのかもしれないし。。。

うーん。

単純に仮想敵を作って集団をまとめるのは楽なんだけど、「関心相関性」に着目したもの見方をもった集団を鍛え上げることはできないだろうか。。。




この1年半で学んだこと。

1・「出来事を意味として捉えたほうが生産性が高い」
2・「意味を生み出す“関心相関性”に着目したものの見方を鍛えないと、集団は教条化する」


・・・ってことは、僕自身が鍛えないとならないのは、関心相関性を取り出す方法的な態度だろうな・・・って、どんどん精神保健福祉の分野から離れていくぞw・・・