事実の事実の意味の意味。

あー。

何かいろんな人の残務が僕のところに回ってくるぞw

うけるwww

いっそ僕の肩書きは、「残務整理人」にしたほうがいいかもw

残務整理人っつーのはあれだ。みんなの負債の整理人みたいなもんだw

そうだな。
こういうときこそ自分の基盤を確認しながら進んだほうがいいんだろうな。

自分の基盤は背景的な価値評価を括弧に入れてその出どころをチェックする作業に従事すること。その根拠は自分自身の個人史に由来していて、背景的な価値評価に規定されること以外の“他の在り方”を模索することだ。

そのためには、反省的な視線と態度を鍛える必要がある。

その視線と態度の方法的な根拠は現象学にあって、哲学の歴史にまみれた堅苦しい概念を使用する必要はないけど、方法的態度として現象学の構えをとることは必要なわけだ。

そして、この方法的態度を鍛えるためには、単に哲学的な内省だけではダメで、常に直接的な現実経験から出発して、内省を開始する必要があるわけだ。
そのための臨床場面として、精神保健福祉の現場があるわけで、30年来の病棟文化にまみれた僕の所属する病院で業務することに意味があるわけだ。

そんで、今の業務は、psyで困ってる人がどうすれば地域で暮らせるかを悩む仕事であって、それは同時に、凝り固まった病棟文化を背景的な価値評価として持つこの病院で、その背景を切り崩すことが出来るかどうかということでもあるわけだ。

だからこそ“他の在り方”を模索するARSの活動には意味があるわけで、それに従事できるということはとても有難いわけだ。

だがしかし、僕は今、まったく面白味のない、背景的な価値評価にまみれた、精神保健福祉法に規定された、書類業務をすることを迫られているわけだ。
果たしてこの業務が僕自身にとって意味のあることなのかどうか。。。

僕の履歴と直感は、「そんなもんに時間を割かれるのは無駄だ。やめちまえ。キミの臨床はそこにはないよ。」と直観しているわけだけど。。。