「確信」について。

人の行動って、それほど確信的なものじゃないのかもしれない。

人って、それほど確信的な行動を取れるわけじゃないのかもしれない。

実は人の行動って、その七割位が行きあたりばったりな偶然なもので、二割位が後づけで理由をつけてさも確信的であるように振舞うような行動で、残りの一割位が自分で確信的っていえるようなものなのかもしれない。

そして、もし反省的に考えるのならば、確信的だと勘違いしてしまっているような七割の行動を根拠付ている理由はなにか?って考えることが大切なんだろうな。

その、確信的に感じ取れる行きあたりばったりな偶然の理由に対して、背景的な根拠を見いだせれば、なにか展望が見つかるのかもしれない。
少なくとも、「確信」に視界を遮られずに済むのかもしれない。


そして、そうした背景的な根拠のことが、「構造」っていう表現になるのかもしれない。


全部「~なのかもしれない」という「かもしれない文章」なので、全部ウソなのかもしれないけど本当なのかもしれない、かもしれないw