腐葉土。

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占星術の結果が恐ろしく良くて、僕は多分帝国を作れるので、くら寿司で寿司を食べました。


くら寿司で寿司を食べたのだが、そのくら寿司の出入り口にはガチャガチャ(もしくはガチャポンなど)が設置してあり、僕はそれを見たのです。見たそれはキノコの景品が出てくるガチャガチャ(もしくはガチャポンなど)であり、僕は「キノコの出てくるガチャガチャ(もしくはガチャポンなど)なのだな」と思ったのだ。そして僕の「良心」が、何年かぶりにガチャポン(もしくはガチャガチャなど)をやってキノコを手に入れるということが当為を抜きにした現実的な「善い」なのではないか?とエクスバイダーな感度を伴って僕に語りかけてきたので、僕は「ガチャポン(もしくはガチャガチャなど)をやるものだ」と思ったのだ。

「ガチャガチャ(もしくはガチャポンなど)をやるものだ」と思った僕は、おばあちゃんに謝る必要がある。

“おばちゃん”ではなく“おばあちゃん”に謝るのだ。

おばちゃんは生きているがおばあちゃんは死んでいるのだ。




僕は死んだおばあちゃんに謝る必要があるのだ。




そのときの僕は生きている死んだおばあちゃんに連れられて隣町の病院に行ったのだ。
僕は隣町の皮膚科と歯医者をよく利用していたので、そのときも皮膚科か歯医者に行ったのだと思うのだが、そのときとは小学生のころなので死んだおばあちゃんは生きていたのです。

隣町で病院が終わった後、スーパーで買い物をした後、家に戻るためにはバスを利用します。

利用するバスに乗るためのバス停は、おもちゃ屋さんの前にあります。そして、そのおもちゃ屋さんの出入り口付近には、ガチャガチャ(ガチャポンではない。このころの僕は、“ガチャポン”という表現があることを知らなかったので、僕にとってガチャガチャはガチャガチャでしかないのだ)があります。

僕はこの隣町に行く度に、バス停のあるおもちゃ屋さんの出入り口付近にあるガチャガチャをやっていたのだ。

と。

いうか。

生きていた死んだおばあちゃんにお金をもらってガチャガチャをやらしてもらっていたのだ。そのガチャガチャの景品は、変形するロボット的な簡易的なプラモデルで、いろんな種類があるのです。何種類かある変形するロボットなのですが、そのときの僕は運が良いほうの人間だったようで、毎回違う種類の変形するロボットを手に入れることができていたのですが、そのときは手に入れることができなかった。


同じ種類のロボットが出てきてしまったのです。。。




・・・運命愛とは腐葉土のようなものだ・・・。




僕はなんだか悔しくて悔しくて、致し方ないとわかっていても、どうしても他の変形するロボットが欲しかったのです。僕は生きていた死んだおばあちゃんに他の種類の変形するロボットが欲しいということを訴えて、ガチャガチャは一度に一回するものなので、生きていた死んだおばあちゃんは致し方なく店員さんに掛け合ってくれて、違う変形するロボットの交換できないか交渉してくれたのだ。


・・・交換できるわけがない・・・。


なぜならばガチャガチャはその本質的な契機として“くじ性”を持っているからだ。
この“くじ性”を無視してしまえば、それはガチャガチャのガチャガチャらしさからかけ離れてしまうということであり僕は“ガチャガチャをして景品を手に入れた人間”ではなくなってしまう。
だから、生きていた死んだおばあちゃんは困りながら僕に「ガチャガチャはくじだから交換できないんだよ。残念だけど致し方ないんだよ。」と、ガチャガチャの本質契機である“くじ性”を語ったのだ。


・・・おばあちゃん、困らしてごめんなさい。。。


・・・運動する命の愛とは、腐敗した葉っぱを含む土のようなものなのだ。。。

そして、土からはキノコがはえてきます。

だから!

僕は!

生きていた死んだおばあちゃんに謝るためにも!

ガチャガチャ(もしくはガチャポンなど)をしてキノコを手に入れる必要があり、それは運命愛なのだ!

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※34歳になった僕は、ガチャガチャには“ガチャガチャ”以外に“ガチャポン”という表現があることを知っていたので、「ガチャガチャ(もしくはガチャポンなど)」という表現をしているのであります。そして、あえて“など”と含みを持たせているということは、僕はこの先ガチャガチャやガチャポン以外の表現に出会うかも知れないという開かれた未来の地平に向き合っているという事なのです。



The Physis of Consciousness


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この出来事は明らかに「意識の自然」に関係している。


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8種類あるらしい・・・もし次にガチャガチャ(もしくはガチャポンなど)をしたときに同じなめたけが出たとしても、生きている死んだおばあちゃんを困らせないように、僕はガチャガチャのもつ“くじ性”に従うのだ。



運命愛とは腐葉土なのだ。



最後に、この物語の縁を断ち切るために、“nicht!”の呪文を唱えときます^^