理念を見張る腕銃。

ここのところ、なんともいえない不安感や焦燥感にさいなまれています。
気力が低下しつつある。
自分自身の欲求不満耐性が日に日に低くなってきて、ちょっとしたことでも気力ががくんと落ちたり、やる気がなくなってしまう。
単に自分が回避的になってるだけかもしれないし、怠けているだけかもしれない。


で。
こうした悩みって、生きていると要所要所で顔を出してくるものだし、その都度なんだかんだで乗り切ったり逃げちゃったりしているんだけど、いろいろ考えてみると、結局のところこうした悩みってのは、「偶然性が支配的な現実の現実性と、規律や規範を作り上げようとする理念化の能力との狭間での葛藤」みたいなものなんだ。

現実はランダムだって分かり切ってるんだけど、僕らはなんだか規範を求めようとしてしまう。

で。
気をつけないと規範に縛られて、現実の自由さが無くなってしまう。

そんで、規範が「~ねばならない」と強制力を持つようになると、どんどんどんどん不安になっちゃう。
なんで不安になるかというと、現実は常にランダムであるものだから、どんなに規範を立てようとも必ずしも規範通りには行かないからです。
だから、「私は規範から逸脱してしまう可能性を持っている」という不安感を感じるようになってしまう。

規範に従えない自分自身はまるで無能のように思えてしまう。

で。
もどかしいのは、社会は規範的な態度を要求してくるということだ。・・・まぁ、当たり前のことなんだけどw

たぶん、理念化の傾向っていうのは、人の持っている基本的な能力みたいなもんだから、生活していく上では使用せざるを得ない能力といえそうです。

なぜ理念化が基本的な能力なのかというと、目の前にあるコップの構成をいったん解体してみるとわかる。

「コップが見えている」ということの中にも理念が潜んでいる。(ということにしといてくださいw※参照:「自己紹介:class2。 “不在の現実。”http://blogs.yahoo.co.jp/nanonoid/5329623.html」)

ってことは、いかに自分自身の持っている理念化の傾向とうまくおつきあいしていくのかってのが課題になるだろうな。

っていうか、今の僕の課題だ。

・・・現実の持っているランダム性に近づきすぎると、なんだかあやふやな人間になっちゃうし(っていうか社会にそうとられちゃう)、理念化にとらわれると「規範から逸脱したらどうしようという不安感」にさいなまれて生き辛くなっちゃうし。

あ。

例の腕銃の出番だwww