パースペクティバー。

「糸の切れた凧」っていう表現があります。

なんていうか、自分を支えてくれているものがなくなっちゃって、ふらふらふわふわ、どこに行くのかわからないような状態を「糸の切れた凧みたいだ」とか表現することがあります。

でも。

これって、なんだか不公平な表現じゃないか?って思うんです。

っていうのも、これはあまりにも凧よりの視点だ。

確かに凧にとったら自分を支えてくれていたものと切り離されちゃったわけだから、ふらふらふわふわと頼りない感じがするだろうけど、糸にとっては自分を引っ張り続けていた凧とおさらばできたわけだから、けっこう晴れ晴れしい事態なんじゃないのかな?

そもそも、この糸は“凧がどっかに行かないようにつなぎ止めておく”なんて仕事はしたくなかったのかもしれないし、そうしたうざったい仕事から解放されて清々しているのかもしれない。

きっと、凧から解放された糸は、自分の人生を歩き出すのだろうな。
凧に縛られるんじゃなくって、自分から別のものを縛り付けれるかもしれないし。


と。

いうわけで。


自分を規定している重責や堅苦しさから解放されたときは、「凧の切れた糸」という表現を使いましょう^^

僕も早く凧から解放されたいなw